大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌地方裁判所 昭和58年(行ウ)1号 判決

当事者

別紙当事者目録記載のとおり

主文

一  被告が昭和四一年一二月二七日付けで原告大家美喜子及び原告酒谷忠興に対してした戒告処分並びに被告が昭和三七年三月二五日付けで原告渡辺孝三郎に対してした六か月間減給一〇分の一の処分(人事委員会の裁決により戒告処分に修正されている。)をいずれも取り消す。

二  原告大家美喜子、原告酒谷忠興及び原告渡辺孝三郎を除く原告らの請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告大家美喜子、原告酒谷忠興及び原告渡辺孝三郎と被告の間においては全部被告の負担とし、その余の原告らと被告の間においては被告に生じた費用の一五分の一四をその余の原告らの負担とし、その余は各自の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が別紙処分目録(一)及び(二)の「処分発令日」欄記載の処分発令日にした「被処分者名」欄記載の被処分者らに対する「処分内容」欄記載の各懲戒処分(ただし、別紙処分目録(二)記載の被処分者については、北海道人事委員会の裁決により「修正裁決内容」欄記載のとおり修正後のもの)を取り消す。

第二事案の概要

一  事案の要旨

本件は、被処分者あるいはその相続人が原告となり、被処分者が昭和三六年一〇月二六日又は昭和四一年六月二四日の学力調査において職務命令に反してこれを実施しなかったなどの理由で被告から受けた懲戒処分の取消しを求める事件である。

二  争いのない事実(懲戒処分事由に関する争いのない事実を除く。)

1  当事者、相続関係

(一) 被処分者

別紙処分目録(一)(略)及び(二)(略)の「被処分者」欄記載の被処分者は、いずれも処分発令時に「原処分時在職校名」欄記載の公立学校に、「処分時職名」欄記載の職(校長、教諭、助教諭(以下、教諭及び助教諭を合わせて「教員」という。))として勤務しており、北海道教職員組合の組合員であった。

(二) 被処分者の相続

(1) 別紙処分目録(一)記載の伴野利雄は、平成七年二月一四日死亡し、別紙当事者目録中原告整理番号1欄記載の相続人が伴野利雄を相続した。

(2) 別紙処分目録(二)記載の羽田守信は、昭和五六年七月八日死亡し、別紙当事者目録中原告整理番号18欄記載の相続人が羽田守信を相続した。

(3) 別紙処分目録(二)記載の熊坂長治は、昭和四八年六月一五日死亡し、別紙当事者目録中原告整理番号19欄記載の相続人が熊坂長治を相続した。

(4) 別紙処分目録(二)記載の竹内寛は、昭和五四年九月二七日死亡し、別紙当事者目録中原告整理番号21欄記載の相続人が竹内寛を相続した。

(5) 別紙処分目録(二)記載の岸猪佐雄は、昭和五七年六月一八日死亡し、別紙当事者目録中原告整理番号23欄記載の相続人が岸猪佐雄を相続した。

(6) 別紙処分目録(二)記載の木下貞四郎は、平成六年一月一二日死亡し、別紙当事者目録中原告整理番号24欄記載の相続人が木下貞四郎を相続した。

(7) 別紙処分目録(二)記載の今安慎一は、昭和五七年一〇月三日死亡し、別紙当事者目録中原告整理番号27欄記載の相続人が今安慎一を相続した。

(8) 別紙処分目録(二)記載の前田敏一は、昭和四六年七月二一日死亡し、別紙当事者目録中原告整理番号28欄記載の相続人が前田敏一を相続した。

(9) 別紙処分目録(二)記載の堀合重夫は、昭和四〇年八月一二日死亡し、別紙当事者目録中原告整理番号31欄記載の相続人が堀合重夫を相続した。

(10) 別紙処分目録(二)記載の中野忠次郎は、昭和五五年四月二四日死亡し、別紙当事者目録中原告整理番号32欄記載の相続人が中野忠次郎を相続した。

(三) 被告

被告は、被処分者らの任命権者である。

2  学力調査の実施

(一) 昭和三六年学力調査

文部省は、被告に対し、昭和三六年三月八日付けの文部省初等中等教育局長及び同調査局長連名の「中学校生徒全国一斉学力調査の実施期日について」と題する書面で、同年一〇月二六日に昭和三六年度全国中学校一せい学力調査(以下「昭和三六年学力調査」という。)を実施する予定である旨通知し、更に同年四月二七日付けの同連名の「昭和三六年度全国中学校一せい学力調査について」と題する書面に調査実施要綱(以下「本件調査実施要綱」という。)を添付して、昭和三六年学力調査を実施してその結果を報告するよう求めた。

本件調査実施要綱には次のとおり記載されていた。

(1) 昭和三六年学力調査の目的

ア 文部省及び教育委員会においては、教育課程に関する諸施策の樹立及び学習指導の改善に役立たせる資料とすること。

イ 中学校においては、自校の学習の到達度を全国的な水準との比較においてみることにより、その長短を知り、生徒の学習の指導とその向上に役立たせる資料とすること。

ウ 文部省及び教育委員会においては、学習の改善に役立つ教育条件を整備する資料とすること。

エ 文部省及び教育委員会においては、育英、特殊教育施設などの拡充強化に役立てる等今後の教育施策を行うための資料とすること。

(2) 調査の対象

全国の中学校第二、第三学年の全生徒

(3) 調査する教科

国語、社会、数学、理科、英語の五教科

(4) 調査の実施期日

昭和三六年一〇月二六日午前九時から午後三時までの間に一教科五〇分として行う。

(5) 調査問題

文部省において問題作成委員会を設けて教科別に作成する。

(6) 調査の系統

都道府県教育委員会は、当該都道府県内の学力調査の全般的な管理運営にあたる。市町村教育委員会は、当該市町村の公立中学校の学力調査を実施する。右実施のため、原則として、管内の各中学校長を当該学校のテスト責任者に、同教員を同補助者に命じ、更に教育委員会事務職員などをテスト立会人として各中学校に派遣する。

(7) 調査結果の集計

原則として、市町村立学校については市町村教育委員会が行い、都道府県教育委員会においては都道府県単位の集計を行い、文部省に提出する。

(8) 調査結果の利用

生徒指導要録の標準検査の記録欄に調査結果の換算点を記録する。

そこで、被告は、北海道内の市町村教育委員会に対し、同年六月二〇日付けの北海道教育委員会教育長名義の「昭和三六年度全国中学校一せい学力調査の実施について」と題する書面で、昭和三六年学力調査を実施してその結果を報告するよう求めた(その後に、同年一〇月三日付け右同名義の「昭和三六年度全国中学校一せい学力調査の実施について」と題する書面で、実施要綱の一部が変更されるとともに集計表の提出期限等の実施細目が指示された。)。市町村教育委員会は、更に、当該市町村内の公立中学校の校長に対して昭和三六年学力調査の実施を求めた。

(二) 昭和四一年学力調査

文部省は、被告に対し、昭和四〇年九月一日付けの文部省初等中等教育局長及び調査局長連名の「昭和四一年度全国小学校、中学校学力調査の実施方針について」と題する書面並びに昭和四一年一月二八日付けの右同名義の「昭和四一年度全国小学校中学校学力調査について」と題する書面で、同年六月二四日に昭和四一年度全国小学校中学校学力調査(以下「昭和四一年学力調査」という。また、昭和三六年学力調査と昭和四一年学力調査を合わせて「本件学力調査」ともいう。)を実施する予定である旨通知し、更に同年四月二五日付けの右同名義の「昭和四一年度全国小学校学力調査について」及び「昭和四一年度全国中学校学力調査について」と題する書面で、昭和四一年学力調査を実施してその結果を報告するよう求めた。右書面には、次のとおり記載されていた。

(1) 昭和四一年学力調査の目的

ア 小学校においては、第五学年の児童の国語、算数及び音楽についての学力の実態をとらえ、教育課程に関する方策の樹立、学習指導の改善に役立てる資料とする。

イ 中学校においては、第一学年の生徒の国語、数学及び第三学年の生徒の国語、数学、技術家庭についての実態をとらえ、教育課程に関する方策の樹立、学習指導の改善に役立てる資料とする。

ウ 調査結果は教育の条件整備にも利用する。

(2) 調査の対象

ア 小学校

全部の国立小学校及び無作為抽出によって選定された約二〇パーセントの公私立小学校の第五学年の全児童(特殊学級の児童を除く。)

イ 中学校

全部の国立中学校及び無作為抽出によって選定された約二〇パーセントの公私立中学校(以下、抽出された小学校及び中学校を合わせて「抽出校」という。)の第一、第三学年の全生徒(特殊学級の生徒を除く。)

(3) 調査する教科

ア 小学校

国語、算数及び音楽(ラジオ放送による調査を含む。)

イ 中学校

第一学年が国語(ラジオ放送による調査を含む。)及び数学、第三学年が国語、数学及び技術家庭

(4) 調査の実施期日

小学校及び中学校とも昭和四一年六月二四日とし、

ア 小学校は、午前九時から一一時二五分までの間に一教科二五分ないし四五分とし、

イ 中学校は、午前八時三〇分(第一学年は九時三五分)から一一時四五分までの間に一教科五〇分ないし五五分として行う。

(5) 調査問題

文部省において問題作成委員会を設けて教科別に作成する。

(6) 調査の系統

小学校又は中学校の校務として実施する。

(7) 市町村立学校の調査結果の採点並びに集計事務

市町村教育委員会が決定するところにより行い、都道府県教育委員会において都道府県単位の集計を文部省に提出する。中学校の調査結果の換算点を生活指導要録の「標準検査等の記録」の欄に記入させるかどうかは、市町村教育委員会において決定する。

そこで、被告は、北海道内の市町村教育委員会に対し、同年五月四日付けの北海道教育委員会教育長名義の「昭和四一年度全国小学校学力調査について」及び「昭和四一年度全国中学校学力調査について」と題する書面で、昭和四一年学力調査を実施してその結果を報告するよう求めた。市町村教育委員会は、更に、当該市町村内の抽出校の校長に対して昭和四一年学力調査の実施を求めた。また、抽出校に指定されない学校の中でも、昭和四一年学力調査の実施を希望した学校(以下「非抽出実施校」という。)もあった。

3  懲戒処分

被告は、別紙処分目録(一)及び(二)の「被処分者」欄記載の被処分者に対し、本件学力調査の実施に関連する被処分者らの行為を地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という。)及び地方公務員法に違反するとして、同目録の「処分発令日」欄記載の処分発令日に「処分内容」欄記載の各懲戒処分(以下「本件懲戒処分」という。)をした。

4  人事委員会による審理及び裁決

別紙処分目録(一)及び(二)の「被処分者」欄記載の被処分者は、「審査請求日」欄記載の日に、北海道人事委員会に対し、本件懲戒処分を不服として審査請求をしたところ、同委員会は、昭和五七年一〇月二三日、別紙処分目録(二)の「被処分者」欄記載の被処分者に対し、被処分者に対する本件懲戒処分を「修正裁決内容」欄記載のとおり修正する旨の裁決をした。

三  法律上の争点

1  本件学力調査自体の適法性

2  市町村教育委員会の校長に対する学力調査実施の職務命令の適法性

3  校長の教諭、助教諭に対する学力調査実施の職務命令の適法性

4  授業計画の変更手続を欠く学力調査実施の職務命令の有効性

(原告らの主張)

学校運営は、職員会議の議を経て年間教育計画が作成された上、これに基づいてされるものであるから、校長は、まず各学校において決められている授業計画の変更手続をしなければならず、この手続を欠いたまま所属職員らに学力調査の実施を指示するだけでは、当日中止される授業が中止のままになってしまうのか後日同じ授業が実施されるのかが明らかにならないから、そのような職務命令は違法である。

5  昭和三六年学力調査についてされた本件懲戒処分は、公平原則、平等原則に違反する違法な処分か。

(原告らの主張)

(一) 校長について

昭和三六年学力調査において、北海道内で職務命令に違反した校長は被告の主張によると三〇〇人いるのに、そのうち処分内申がされていない者が一五人いる。また、処分内申がされた二八五人のうち処分がされたのは一六九人にすぎず、一一六人が処分されなかった理由は一切明らかにされていないから、校長に対する本件懲戒処分は恣意的に行われたものと言わざるを得ず、不平等、不公平な処分であることが明らかである。したがって、本件懲戒処分は、懲戒権の濫用として取り消されるべきである。

(二) 教員について

昭和三六年学力調査において、北海道内で職務命令に違反したとして被告に処分内申がされた教員は三八一四人いるのに、そのうち処分がされたのは一一〇人にすぎない。また、地域的にみても、後志教育局のように四一二人が処分内申されているのに処分された者が皆無である教育局もある。そして、処分内申がされなかった理由は一切明らかにされていないから、教員に対する本件懲戒処分は恣意的に行われたものと言わざるを得ず、不平等、不公平な処分であることが明らかである。したがって、本件懲戒処分は、懲戒権の濫用として取り消されるべきである。

(被告の原告らの主張に対する反論)

(一) 校長について

昭和三六年学力調査において、北海道内で職務命令に違反したものの処分内申されていない校長が一五人いるが、処分内申がされなかったのは、昭和三七年度の学力調査を円満に実施するためなどの理由によるものである。また、処分内申がされた二八五人の校長のうち一六九人のみ処分されているが、非処分者については、学力調査不実施の責任が当該校長にあるとは認められなかった、内申の事由となった事実がなかったなどの理由によるものであり、本件懲戒処分が恣意的に行われたからではない。したがって、不平等、不公平な処分であるともいえないから、校長に対する本件懲戒処分が懲戒権の濫用であるとはいえない。

(二) 教員について

昭和三六年学力調査において、北海道内で職務命令に違反したとして処分内申がされた三八一四人の教員のうち一一〇人のみが処分されたのは、非処分者については、分校主任または校長代理として学力調査の不実施の責任が同人らに存在するとは認められなかった、内申の事由となった事実が認められなかったことのほか、違反者から供述書の提出等職務命令に違反したことについて改悛の情のみられたことを考慮したことなどの理由によるものであり、教員に対する本件懲戒処分が恣意的に行われたからではない。したがって、不平等、不公平な処分であるともいえないから、本件懲戒処分が懲戒権の濫用であるとはいえない。

6  昭和四一年学力調査の際、非抽出実施校における違反者に対してされた本件懲戒処分は、公平原則、平等原則に違反する違法な処分か。

(原告吉水正明、原告上田弓人、原告佐藤修司、原告谷藤八重子、原告高野亮、原告曽我敏明、原告丸田功、原告佐藤奨、原告小椋政義、原告戸川健治、原告大家美喜子及び原告酒谷忠興関係)。

(原告らの主張)

北海道内の非抽出実施校で昭和四一年学力調査が実施されなかった学級は、小学校で四八二学級、中学校で一一〇七学級あったから、少なくとも合計一五八九人の教員が職務命令に違反していたことが推計できる(被告は、渡島、檜山及び宗谷管内の九八人のみが被告の把握している職務命令違反者である旨主張する。)ところ、このうち市町村教育委員会から被告に処分内申されたのは小学校一一人、中学校二三人の合計三四人に過ぎず、その内で被告によって処分がされたのはわずか二〇人であった。したがって、原告吉水正明、原告上田弓人、原告佐藤修司、原告谷藤八重子、原告高野亮、原告曽我敏明、原告丸田功、原告佐藤奨、原告小椋政義、原告戸川健治、原告大家美喜子及び原告酒谷忠興についてされた本件懲戒処分は、同じような行動をした教員のうちの組合活動に熱心であった同原告らのみをねらい撃ちした不純な動機によるもので、裁量権の濫用であり、違法な処分である。

(被告の原告らの主張に対する反論)

同原告らに対する本件懲戒処分は、市町村教育委員会の内申に基づいてされたものである。内申がされた者のうちで懲戒処分をされていない者がいるのは、供述書の提出があり、学力調査実施に関する職務命令を拒否、返上したことについて反省が顕著であると認められるなどの理由で処分の対象としなかったのであり、組合活動家をねらい撃ちした処分ではない。

四  個々の懲戒処分事由に関する争いのない事実及び争点

1  被処分者伴野利雄

(一) 争いのない事実

伴野利雄は、鹿追町立鹿追中学校の校長の職にあったところ、昭和三六年一〇月一七日、鹿追町教育委員会から文書で、同人を昭和三六年学力調査の責任者とすること、鹿追中学校の職員の中から学力調査実施の補助員を選択してその氏名を鹿追町教育委員会に報告すること、同月二六日の授業計画を変更して学力調査を実施することの指示を受けた。しかしながら、同人は、同月二六日の授業計画の変更を行わず、学力調査の実施の指示をしなかった。

(二) 争点

(原告伴野トミヨ、原告伴野隆、原告柏木康子、原告渡邉昌子、原告伴野厚子、原告白井克子及び原告伴野幸子の主張)

伴野利雄は、昭和三六年学力調査の実施につき昭和三六年一〇月二四日及び二五日、鹿追中学校の職員会議を開催し、右学力調査の実施、補助員の指名、授業計画の変更について所属職員と協議したものの、同月二五日深夜になっても結論はでなかった。そこで、同人は、同月二六日臨時職員会議を招集して所属職員に学力調査実施に向けて再考を促したり、始業時が到来して授業が開始された後も断続的に臨時職員会議を招集したりして学力調査実施に向けた努力を払った。また、右学力調査は、実施できないままに同日午後二時四〇分に至り、鹿追町教育委員会が派遣した立会人が学力調査は不能であるとの判断を示したので、右立会人の意思によって中止されたものに過ぎない。

したがって、同人は、学力調査実施のために必要な行為をしたものであって、懲戒処分を受ける事由がない。

2  被処分者羽田守信

(一) 争いのない事実

羽田守信は、美瑛町立美瑛中学校の校長の職にあったところ、昭和三六年一〇月二四日、美瑛町教育委員会から文書で、同人を昭和三六年学力調査の責任者とすること、美瑛中学校の職員の中から学力調査実施の補助員を文書で任命してその氏名を美瑛町教育委員会に報告すること、同月二六日の授業計画を変更して学力調査を実施することの指示を受けた。しかしながら、同人は、同月二六日の授業計画の変更を行わず、学力調査の実施の指示をしなかった。

(二) 争点

(原告羽田ゆき子、原告飯坂宗子、原告上杉許子、原告西川式子、原告久本公子、原告高橋敬子、原告羽田信武及び原告羽田信昌の主張)

(1) 羽田守信は、昭和三六年学力調査の実施につき昭和三六年一〇月二四日及び二五日の二回にわたって、美瑛中学校の全教員に対して、右学力調査の実施の可否についてその意向を聴取したところ、いずれも全教員から実施に協力できないとの意思が表明された。羽田守信は、職員の協力なくして学校行事は成立しない、職員以外の者をテスターとして生徒の面前に立たせることは教育行事として認められないとの判断から、テスターの要請もしないという行動を取った。校長にテスター派遣要請の義務もなかったし、羽田守信が学力調査の対象学級であった一二学級を一人で実施することは不可能であった。また、羽田守信は、一〇月二五日午前一一時五〇分からの緊急職員会議で教員全員に学力調査実施の補助員を命じていることが認められる。以上のとおり、羽田守信は、学力調査実施に向けた最大限の努力を行ったのであるから、羽田守信に学力調査不実施の責任を問うことはできない。

(2) 美瑛町内には、当時一一の中学校があったところ、昭和三六年学力調査が実施された中学校は八校、実施されなかった中学校は三校であった。しかしながら、実施されなかった三校の不実施の態様にさしたる差異がないのに懲戒処分がされたのは羽田守信のみであるから、本件懲戒処分は懲戒権の濫用として取り消されるべきである。

3  原告村上勲

(一) 争いのない事実

原告村上勲は、上の国村立滝沢中学校の校長の職にあったところ、昭和三六年一〇月一三日、上の国村教育委員会から文書で、同原告を昭和三六年学力調査の責任者とすること、滝沢中学校の職員の中から学力調査実施の補助員を選択すること、同月二六日の授業計画を変更して学力調査を実施することの指示を受けた。しかしながら、同原告は、同月二六日の授業計画の変更を行わず、学力調査の実施の指示をしなかった。

(二) 争点

(原告村上勲の主張)

原告村上勲は、昭和三六年学力調査の実施に滝沢中学校の所属職員ら全員が予め強い反対の意思を表明していたこと、同月二六日滝沢中学校には他校の教員ら十数名が同原告に学力調査の中止を要請するために来訪していたことから、学力調査を実施するとなれば教育現場の混乱は必至であると判断し、混乱を回避するために学力調査を実施しなかったものである。

4  被処分者熊坂長治

(一) 争いのない事実

熊坂長治は、上の国村立湯ノ岱中学校の校長の職にあったところ、昭和三六年一〇月一三日、上の国村教育委員会から文書で、同人を昭和三六年学力調査の責任者とすること、湯ノ岱中学校の職員の中から学力調査実施の補助員を選択すること、同月二六日の授業計画を変更して学力調査を実施することの指示を受けた。しかしながら、同人は、同月二五日、上の国村教育委員会に対して問題用紙を返戻し、所属職員に対する学力調査実施の補助員指名等の措置を実施しなかった。

(二) 争点

(原告熊坂ヨシエ及び原告熊坂清の主張)

熊坂長治は、昭和三六年学力調査の実施につき湯ノ岱中学校の職員会議を開催し、右学力調査の実施について所属職員と協議したところ、所属職員らは全員その実施に反対である旨の意思を表明していた。したがって、これに反して学力調査を実施するとすれば、教育現場の混乱は必至の状況であったことから、熊坂長治は学力調査を実施することができなかったものである。

5  原告野田繁雄

(一) 争いのない事実

原告野田繁雄は、静内町立静内中学校の校長の職にあったところ、昭和三六年一〇月一六日、静内町教育委員会から文書で、同原告を昭和三六年学力調査の責任者とすること、静内中学校の職員の中から学力調査実施の補助員を選択してその氏名を静内町教育委員会に報告すること、同月二六日の授業計画を変更して学力調査を実施することの指示を受けた。しかしながら、同原告は、所属職員に対する学力調査実施の補助員の指名及び授業計画の変更を行わず、また、同月二六日には静内町教育委員会から学力調査の実施を督励されたものの学力調査には反対である旨表明した。

(二) 争点

(原告野田繁雄の主張)

静内中学校所属の教員はすべて昭和三六年学力調査の実施に反対であり、補助員の任命や授業計画の変更を拒否していたから、同原告は、同月二六日に学力調査を実施できなかったのである。

6  被処分者竹内寛

(一) 争いのない事実

竹内寛は、幌泉町立庶野小学校兼中学校の校長の職にあったところ、昭和三六年一〇月一四日、幌泉町教育委員会から文書で、同人を昭和三六年学力調査の責任者とすること、庶野小学校兼中学校の職員の中から学力調査実施の補助員を選択すること、同月二六日の授業計画を変更して学力調査を実施することの指示を受けた。しかしながら、竹内寛は、同月二三日の幌泉町教育委員会招集の中学校長会議において学力調査の責任者とはならない旨表明し、所属職員に対する学力調査実施の補助員の指名をせず、授業計画も変更しなかった。

(二) 争点

(原告竹内幸、原告竹内潤、原告粂田紀子、原告石川敦子及び原告竹内寧の主張)

庶野小学校兼中学校所属の教員はすべて昭和三六年学力調査の実施に反対であり、父兄の反対運動も活発になったので、竹内寛は、補助員の任命や授業計画の変更を命じうる状況ではなかった。同月二六日も、父兄が心配して庶野小学校兼中学校近くに集まったり、他校の教員三人が校内で幌泉町教育委員会の櫛田委員長らと話し合いを続けていた状況においては、学力調査を強行実施すれば混乱することが必至の状態であった。

7  原告森下幸次郎

(一) 争いのない事実

原告森下幸次郎は、歌登村立幌別中央小学校兼幌別中央中学校の校長の職にあったところ、昭和三六年一〇月二五日、歌登村教育委員会から文書で、同原告を昭和三六年学力調査の責任者とすること、幌別中央小学校兼中学校の職員の中から学力調査実施の補助員を選択してその氏名を歌登村教育委員会に報告すること、同月二六日の授業計画を変更して学力調査を実施することの指示を受けた。しかしながら、同原告は、同日午前一時三〇分ころ、歌登村教育委員会に対して右学力調査の責任者となることを拒否する旨の文書を提出した。

(二) 争点

(原告森下幸次郎の主張)

同原告は、同月二六日、幌別中央小学校兼中学校で学力調査を実施すれば、全校職員の反対のために混乱が生じると判断し、学力調査を中止したものである。

8  被処分者岸猪佐雄

(一) 争いのない事実

岸猪佐雄は、北檜山町立太櫓中学校の校長の職にあったところ、昭和三六年一〇月二三日、北檜山町教育委員会から文書で、同人を昭和三六年学力調査の責任者とすること、太櫓中学校の職員の中から学力調査実施の補助員を選択してその氏名を北檜山町教育委員会に報告すること、同月二六日の授業計画を変更して学力調査を実施することの指示を受けた。しかしながら、同人は、同月二五日、北檜山町教育委員会に対して右学力調査の責任者を辞任する旨の文書を提出し、所属職員に対する学力調査実施の補助員の指名をせず、授業計画を変更しなかった。

(二) 争点

(原告岸ツマ、原告岸良久、原告岸宏夫、原告岸京一及び原告岸唯一の主張)

太櫓中学校においては、全ての職員が昭和三六年学力調査の実施に反対しており、更に同月二六日には他校から教員が職員室に来訪し、学力調査の中止要請行動をとっていたため、岸猪佐雄は、このような状況で学力調査を実施すれば、教育現場に混乱を引き起こすことは必至と考え、学力調査を実施しなかったものである。

9  被処分者木下貞四郎

(一) 争いのない事実

木下貞四郎は、北檜山町立左股小学校兼中学校の校長の職にあったところ、昭和三六年一〇月二三日、北檜山町教育委員会から文書で、同人を昭和三六年学力調査の責任者とすること、左股小学校兼中学校の職員の中から学力調査実施の補助員を選択してその氏名を北檜山町教育委員会に報告すること、同月二六日の授業計画を変更して学力調査を実施することの指示を受けた。しかしながら、同人は、同月二五日、北檜山町教育委員会に対して右学力調査の責任者を辞任する旨の文書を提出し、所属職員に対する学力調査実施の補助員の指名をせず、授業計画も変更しなかった。

(二) 争点

(原告木下郁夫の主張)

左股小学校兼中学校においては、全ての職員が昭和三六年学力調査の実施に反対しており、更に同月二六日には他校から教員が職員室に来訪し、学力調査の中止要請行動をとっていたため、木下貞四郎は、このような状況で学力調査を実施すれば、教育現場に混乱を引き起こすことは必至と考え、学力調査を実施しなかったものである。

10  原告小早川時平

(一) 争いのない事実

原告小早川時平は、浦河町立第二野深小学校兼中学校の校長の職にあったところ、昭和三六年一〇月一六日、浦河町教育委員会から文書で、同原告を昭和三六年学力調査の責任者とすること、第二野深小学校兼中学校の職員の中から学力調査実施の補助員を選択してその氏名を浦河町教育委員会に報告すること、同月二六日の授業計画を変更して学力調査を実施することの指示を受けた。しかしながら、同原告は、所属職員に対する学力調査実施の補助員の指名をせず、同月二六日の授業計画を変更しなかった。また、同原告は、同日浦河町教育委員会から、右学力調査実施を督励されたがこれに応じなかった。

(二) 争点

(原告小早川時平の主張)

原告小早川時平は、第二野深小学校兼中学校の全教員に対して、昭和三六年学力調査の実施の可否についてその意向を聴取したところ、全教員から実施に協力できないとの意思が表明された。同原告は、同月二六日には、浦河町教育委員会から派遣された立会人が、もう一度教員と話し合ってほしいというので、同校の教員と再度話合いをしたが、教員たちの学力調査実施反対の態度は変わらなかった。したがって、同原告は、学力調査の実施ができなかったのである。

11  原告石川七郎

(一) 争いのない事実

原告石川七郎は、日高町立三岩小学校兼中学校の校長の職にあったところ、昭和三六年一〇月一六日、日高町教育委員会から文書で、同原告を昭和三六年学力調査の責任者とすること、三岩小学校兼中学校の職員の中から学力調査実施の補助員を選択してその氏名を日高町教育委員会に報告すること、同月二六日の授業計画を変更して学力調査を実施することの指示を受けた。しかしながら、同原告は、所属職員に対する学力調査実施の補助員の指名をせず、授業計画を変更しなかった。

(二) 争点

(原告石川七郎の主張)

三岩中学校の教員は、全員が学力調査の実施に反対していたので、同原告は、このような状況下で学力調査を実施すれば、教育現場に混乱を引き起こすことは必至と考え、学力調査の実施をしなかったのである。

12  被処分者今安慎一

(争いのない事実)

今安慎一は、平取町立芽生小学校兼中学校の校長の職にあったところ、昭和三六年一〇月一六日、平取町教育委員会から文書で、同人を昭和三六年学力調査の責任者とすること、芽生小学校兼中学校の職員の中から学力調査実施の補助員を選択してその氏名を平取町教育委員会に報告すること、同月二六日の授業計画を変更して学力調査を実施することの指示を受けた。しかしながら、同原告は、所属職員に対する学力調査実施の補助員の指名をせず、授業計画を変更しなかった。また、同人は、同日平取町教育委員会から、右学力調査の実施を督励されたがこれに応じなかった。

13  被処分者前田敏一

(一) 争いのない事実

前田敏一は、平取町立振内中学校の校長の職にあったところ、昭和三六年一〇月一六日、平取町教育委員会から文書で、同人を昭和三六年学力調査の責任者とすること、振内中学校の職員の中から学力調査実施の補助員を選択してその氏名を平取町教育委員会に報告すること、同月二六日の授業計画を変更して学力調査を実施することの指示を受けた。しかしながら、同原告は、所属職員に対する学力調査実施の補助員の指名をせず、授業計画も変更しなかった。また、同人は、同日平取町教育委員会から、右学力調査の実施を督励されたがこれに応じなかった。

(二) 争点

(原告前田ハスエ、原告前田禎二及び原告小神麗子の主張)

振内中学校は、同月二六日、学力調査に反対する他校の教員六、七人が待機しており、学力調査を実施すれば混乱を生じるおそれがあったので、前田敏一は、学力調査の実施をしなかったのである。

14  原告齋藤喜太郎

(一) 争いのない事実

原告齋藤喜太郎は、平取町立仁世鵜中学校の校長の職にあったところ、昭和三六年一〇月一六日、平取町教育委員会から文書で、同原告を昭和三六年学力調査の責任者とすること、仁世鵜中学校の職員の中から学力調査実施の補助員を選択してその氏名を平取町教育委員会に報告すること、同月二六日の授業計画を変更して学力調査を実施することの指示を受けた。しかしながら、同原告は、所属職員に対する学力調査実施の補助員の指名をせず、授業計画も変更しなかった。また、同人は、同日平取町教育委員会から、右学力調査の実施を督励されたがこれに応じなかった。

(二) 争点

(原告齋藤喜太郎の主張)

仁世鵜中学校の教員は全員が学力調査の実施に反対していたから、学力調査を実施できる状況にはなかった。したがって、同原告は、学力調査を実施しなかったのである。

15  原告坪井

(一) 争いのない事実

原告坪井は、三石町立三石中学校の校長の職にあったところ、昭和三六年一〇月一六日、三石町教育委員会から文書で、同人を昭和三六年学力調査の責任者とすること、三石中学校の職員の中から学力調査実施の補助員を選択してその氏名を三石町教育委員会に報告すること、同月二六日の授業計画を変更して学力調査を実施することの指示を受けた。しかしながら、同原告は、所属職員に対する学力調査実施の補助員の指名をせず、授業計画の変更を実施しなかった。また、同原告は、同日三石町教育委員会から、右学力調査の実施を督励されたがこれに応じなかった。

(二) 争点

(原告坪井の主張)

三石中学校の教員は全員学力調査の実施に反対しており、学力調査を実施できる状況にはなかった。したがって、坪井は、学力調査を実施しなかったのである。

16  被処分者堀合重夫

(一) 争いのない事実

堀合重夫は、三石町立三石東中学校の校長の職にあったところ、昭和三六年一〇月一六日、三石町教育委員会から文書で、同人を昭和三六年学力調査の責任者とすること、三石東中学校の職員の中から学力調査実施の補助員を選択してその氏名を三石町教育委員会に報告すること、同月二六日の授業計画を変更して学力調査を実施することの指示を受けた。しかしながら、同人は、所属職員に対する学力調査実施の補助員の指名をせず、授業計画も変更しなかった。また、同人は、同日三石町教育委員会から、右学力調査の実施を督励されたがこれに応じなかった。

(二) 争点

(原告堀合正人、原告川村玲子、原告前田悦子、原告堀合義人、原告堀合勝人、原告野村純子及び原告鈴木洋子の主張)

三石東中学校の教員は、学力調査の実施に反対しており、学力調査を実施できる状況にはなかった。したがって、堀合重夫は、学力調査を実施しなかったのである。

17  被処分者中野忠次郎

(争いのない事実)

中野忠次郎は、三石町立歌笛中学校の校長の職にあったところ、昭和三六年一〇月一六日、三石町教育委員会から文書で、同人を昭和三六年学力調査の責任者とすること、歌笛中学校の職員の中から学力調査実施の補助員を選択してその氏名を三石町教育委員会に報告すること、同月二六日の授業計画を変更して学力調査を実施することの指示を受けた。しかしながら、同人は、所属職員に対する学力調査実施の補助員の指名をせず、授業計画を変更しなかった。また、同人は、同日三石町教育委員会から、右学力調査の実施を督励されたがこれに応じなかった。

18  原告尾村褜治

(一) 争いのない事実

原告尾村褜治は、三石町立川上中学校の校長の職にあったところ、昭和三六年一〇月一六日、三石町教育委員会から文書で、同原告を昭和三六年学力調査の責任者とすること、川上中学校の職員の中から学力調査実施の補助員を選択してその氏名を三石町教育委員会に報告すること、同月二六日の授業計画を変更して学力調査を実施することの指示を受けた。しかしながら、同原告は、所属職員に対する学力調査実施の補助員の指名をせず、授業計画を変更しなかった。また、同原告は、同日三石町教育委員会から、右学力調査の実施を督励されたがこれに応じなかった。

(二) 争点

(原告尾村褜治の主張)

三石(ママ)中学校の教員は全員学力調査の実施に反対しており、かつ同月二六日には他校の教員や地区労の組合員も来校していたので、学力調査を実施すれば混乱は必至の状況であった。したがって、同原告は、学力調査を実施しなかったのである。

19  原告吉水正明

(一) 争いのない事実

原告吉水正明は、松前町立白神小学校の教諭であったところ、昭和四一年六月二三日、同校の半野信義校長から、「明日学力テストがあります。テスト実施について吉水先生は一応主任に、藤根先生を副主任にしたいと思いますので、明日の学力テストをやって下さい。」との指示を受けた。

(二) 争点

(1) 懲戒事由の存否

(原告吉水正明の主張)

同原告は、同月二四日午前八時四五分ころ、一時限目の平常授業をしていたところ、半野校長と藤根教頭が教室を訪れ、「これから学テをしますからさせて下さい。」と告げられた。同原告と半野校長、藤根教頭らとの間で学力調査の実施、不実施について話合いがもたれたが、話合いは平行線をたどったので、同日午前九時ころ、藤根教頭は、「入りますよ。」と言って教室内に入った。半野校長と同原告も教室内に入ったところ、半野校長は同原告に対し、「先生は後ろに立っていなさい。」と命じたので、同原告は、半野校長の命令のとおり教室の後ろに立っていたにすぎない。

(2) 本件懲戒処分の平等原則違反、公平原則違反

(原告吉水正明の主張)

松前町には昭和四一年当時、一二の小中学校が設置されており、このうち四一年学力調査についての労務提供を拒否した教員がいた学校は七校あり、労務提供を命じられた四四人の教員のうち二八人が労務提供を拒否した。この二八人のうち懲戒処分(戒告処分)を受けたのは、原告吉水正明、原告上田弓人及び原告佐藤修司と松前中学校に勤務していた一五人を合わせた一八人の教員であった。そして、懲戒処分を受けなかった一〇人の教員が反省書を書かされた事実もなく、かつ、松前中学校に勤務していた一五人の教員の戒告処分も北海道人事委員会の裁決により取り消されている。

したがって、原告吉水正明に対する本件懲戒処分は、平等原則及び公平原則に違反する違法な処分である。

(被告の原告吉水正明の主張に対する反論)

原告吉水正明に対する本件懲戒処分は、松前町教育委員会の内申に基づいてされたものである。都道府県教育委員会による教職員に対する懲戒処分は、地教行法三八条により市町村教育委員会の内申をまって行うこととされており、法律上内申なくして懲戒処分ができないこととなっているから、仮に同一の行為を行いながら一部内申がなかったために懲戒処分がされない者がいたとしても、その事実自体を指して法の下の平等原則、公平原則に違反するものとはいえない。

20  原告上田弓人及び原告佐藤修司

(一) 争いのない事実

原告上田弓人及び原告佐藤修司は、いずれも松前町立松前小学校の教諭で、原告上田弓人は、五年一組の、原告佐藤修司は五年二組の担任をしていたところ、昭和四一年六月二三日昼ころ、同校の矢本英雄校長から、同月二四日の昭和四一年学力調査の実施を委嘱する旨の職務命令(以下「第一の職務命令」という。)を受けた。原告上田弓人及び原告佐藤修司は、同日夕方、矢本校長に対し、第一の職務命令を返戻した。

(二) 争点

(1) 職務命令の撤回

(原告上田弓人及び原告佐藤修司の主張)

同校の本間教頭は、北教組松前小分会の田中副支会長と学力調査の実施について話し合っていたところ、その結果を受けて矢本校長は、同月二四日、原告上田弓人及び原告佐藤修司らに対し、「教育委員会の不完全実施も実施であるとの考え方に基づいて五年一組は本間教頭、五年二組は学校長が実施する。五年一・二組の担任は教室の後に居ること」との文書を示してその内容を同原告らに提案した(以下「第二の職務命令」という。)。同原告らは、矢本校長のこの提案を受け入れ、それぞれ担任の組の教室の後ろで児童を見守っていた。したがって、同原告らには懲戒事由は存在しないし、同月二三日昼ころ出された第一の職務命令は、同月二四日に矢本校長から出された第二の職務命令と矛盾するものであるから、これを同原告らが受け入れたことによって撤回されたものである。

(被告の同原告らの右主張に対する反論)

第二の職務命令によって第一の職務命令は撤回されたものではない。矢本校長は、原告上田弓人及び原告佐藤修司が第一の職務命令を返戻してこれに従わないことが明らかとなったので、学力調査業務が同原告らによって妨害されることを未然に防止して学力調査を円満に実施するため、矢本校長及び本間教頭が学力調査を実施し、原告上田弓人及び原告佐藤修司は教室の後ろで待機することを命じる第二の職務命令を発したものである。

(2) 本件懲戒処分の平等原則違反、公平原則違反

(原告上田弓人及び原告佐藤修司の主張)

松前町には昭和四一年当時、一二の小中学校が設置されており、このうち四一年学力調査についての労務提供を拒否した教員がいた学校は七校あり、労務提供を命じられた四四人の教員のうち二八人が労務提供を拒否した。この二八人のうち懲戒処分(戒告処分)を受けたのは、原告吉水正明、原告上田弓人及び原告佐藤修司と松前中学校に勤務していた一五人を合わせた一八人の教員であった。そして、懲戒処分を受けなかった一〇人が反省書を書かされた事実もなく、かつ、松前中学校に勤務していた一五人の戒告処分も北海道人事委員会の裁決により取り消された。

したがって、原告上田弓人及び原告佐藤修司に対する本件懲戒処分は、平等原則及び公平原則に違反する違法な処分である。

(被告の同原告らの主張に対する反論)

同原告らに対する本件懲戒処分は、松前町教育委員会の内申に基づいてされたものである。都道府県教育委員会による教職員に対する懲戒処分は、地教行法三八条により市町村教育委員会の内申をまって行うこととされており、法律上内申なくして懲戒処分ができないこととなっているから、仮に同一の行為を行いながら一部内申がなかったために懲戒処分がされない者がいたとしても、その事実自体をさして法の下の平等原則、公平原則に違反するものとはいえない。

21  原告谷藤八重子、原告高野亮、原告曽我敏明及び原告丸田功

(一) 争いのない事実

原告谷藤八重子、原告高野亮、原告曽我敏明及び原告丸田功は、いずれも枝幸町立枝幸中学校の教諭であったところ、昭和四一年六月二三日、同校の大谷幸一校長から同月二四日に昭和四一年学力調査を実施する旨の職務命令を受けたにもかかわらず、職務命令を返戻して平常授業を行った。

(二) 争点

(1) 職務命令の有効性

(原告谷藤八重子、原告高野亮、原告曽我敏明及び原告丸田功の主張)

当時の枝幸中学校は、学校が荒廃し、生徒の動揺によって生徒の問題行動が頻発し、昭和四一年度一学期の中間テスト及び体育祭も実施できない状況にあった。したがって、自校の学習の到達度を全国水準の下で把握し、自校の学習の改善に役立たせるための学力調査の実施を希望できる状況にはなかったから、大谷校長の職務命令は自校の状況を無視したものであって効力がない。

(2) 本件懲戒処分は権利の濫用にあたるか。

(原告谷藤八重子、原告高野亮、原告曽我敏明及び原告丸田功の主張)

仮に職務命令の効力があったとしても、同原告らは、当時の枝幸中学校の状況を考えてその生徒のために職務命令を拒否したものであるから、同原告らに対して本件懲戒処分をしたのは権利の濫用として許されない。

(3) 本件懲戒処分は平等原則に違反するか。

(原告谷藤八重子、原告高野亮、原告曽我敏明及び原告丸田功の主張)

枝幸中学校では一一人の教諭が職務命令を返上して平常授業を行ったにもかかわらず、懲戒処分を受けたのは同原告ら四人を含む六人のみであったから、同原告らに対する本件懲戒処分は、平等原則に違反する違法な処分である。

(被告の同原告らの主張に対する反論)

原告谷藤八重子、原告高野亮、原告曽我敏明及び原告丸田功に対する本件懲戒処分は、枝幸町教育委員会の内申に基づいてされたものである。内申がされた者のうち懲戒処分をされなかった者については、供述書の提出があり、学力調査実施に関する職務命令を拒否、返上したことについて反省が顕著であると認められるなどの理由で処分の対象としなかったものである。

22  原告佐藤奨、原告小椋政義及び原告戸川健治

(一) 争いのない事実

原告佐藤奨は枝幸町立問牧小学校の、原告小椋政義及び原告戸川健治はいずれも枝幸町立問牧中学校の教諭であったところ、昭和四一年六月二三日、問牧小学校及び同中学校の富樫正吉校長から、同月二四日に昭和四一年学力調査を実施する旨の職務命令を受けたが、同原告らは右職務命令を返戻した。

(二) 争点

(原告佐藤奨、原告小椋政義及び原告戸川健治の主張)

(1) 問牧小中学校は非抽出実施校であった。ところで、非抽出実施校について学力調査を実施する目的は、調査結果を自校の教育条件改善の資料とすることにあったが、問牧小中学校の昭和四一年当時の教育条件は調査などするまでもなく改善すべき状況であったから、昭和四一年学力調査の実施を命じた富樫校長の職務命令は、無意味なものであり、これに反対した原告らに対する本件懲戒処分は、懲戒権の濫用である。

(2) 原告佐藤奨及び原告戸川健治は、同月二四日には富樫校長の具体的指示にすべて従って行動しており、また原告小椋に対して富樫校長からの具体的指示は全くなかったから、同原告らに対する本件懲戒処分は、懲戒権の濫用である。

(3) 富樫校長から原告佐藤奨に対する学力調査実施の職務命令は、小学校五年生に対する学力調査実施のみであり、六年生に対する授業計画の変更等の具体的指示はされなかった。原告佐藤奨は、小学校五、六年生の複式授業を担当していたから、右職務命令は実施不可能な職務命令として従いようのない無効の命令であった。

23  原告下山龍太郎

(一) 争いのない事実

原告下山龍太郎は、釧路市立共栄小学校の教諭であったところ、昭和四一年六月二二日、同校の森川英男校長から同月二四日に学力調査を実施する旨の職務命令を受けたが、同日午前八時三五分ころ、右職務命令を返戻した。

(二) 争点

(原告下山龍太郎の主張)

共栄小学校では、同月二二日、五年五組の児童が赤痢に罹患した旨の連絡が学校にあったにもかかわらず、この事実が教員には知らされず、かつ、同月二四日午前一〇時にはその児童が真性赤痢である旨の連絡が学校にされた。そして、同日の学力調査実施後にはPTAの緊急役員会が開かれて同月二六日に実施予定の運動会は延期された。このような状況のもとで森川校長から原告下山龍太郎に対してされた職務命令は、客観的に違法な職務命令であって、同原告が職務命令に従わなかった主観的理由を問うまでもなく違法である。

24  原告加藤忠史

(一) 争いのない事実

原告加藤忠史は、釧路市立駒場小学校の教諭であったところ、昭和四一年六月二三日、同校の本間校長から、文書で同月二四日に昭和四一年学力調査を実施する旨の職務命令を受けたが、右職務命令を返戻した。

(二) 争点

(原告加藤忠史の主張)

駒場小学校は、昭和三八年に開校されたばかりの学校であって、昭和四一年六月当時、全校で一二学級七〇〇人の生徒がいたにもかかわらず、ピアノはなく、オルガンが一台、飛び箱、踏み台、マットが各一組しかなく、職員室すらないという劣悪な施設、設備であった。本間校長は、学力調査実施の教育上の当否に関する教員の質問に応えることなく、処分を示唆して職務命令を発した。これに対し、同原告は、学力調査は日本の教育を阻害し、教師と子どものきずなを破壊するものと認識して教師の良心にかけてその実施に反対したものである。

25  原告富塚英明

(一) 争いのない事実

原告富塚英明は、釧路市立清明小学校の教諭であったところ、昭和四一年六月二三日、同校の青山校長から、同月二四日に昭和四一年学力調査を実施する旨の職務命令を受けたが、右職務命令を返戻した。

(二) 争点

(原告富塚英明の主張)

同原告が右職務命令を返戻したので、校長はその場で教頭に学力調査の実施を命じたところ、同原告は、教頭の了解を得て児童の健康管理のために五年一組の教室にいた。学力調査が実施されている途中で五年一組のある児童の健康状態が悪くなり、途中で吐いたりしたので、同原告はその処理と保護にあたった。同原告は、三七年間の教師生活の間、子どもの成長を心から願って優れた教材の発掘、子どもの成長につながる教育方法の開発に努力し続けたものであり、その良心から学力調査の実施に協力することはできなかったものである。

一方、清明小学校の青山校長は、学校内で孤立しており、教頭が公印を保管し学校運営の指示もしていた。この教頭は、朝から飲酒のうえ出勤して職員会議中にヤカン酒をまわし飲みするような人物であった。被告が、校長が自己の保身のために発した職務命令に従わなかったことの一事をもって同原告に対する懲戒処分を維持していることには大きな矛盾がある。

26  原告大家美喜子及び原告酒谷忠興

(一) 争いのない事実

(1) 原告大家美喜子関係

同原告は、江差町立江差中学校の教諭であったところ、昭和四一年六月二三日、同校の境要校長から、同月二四日に昭和四一年学力調査を実施すること、同日の授業計画を変更することを命じられた。また、同原告は、同日午前八時〇五分ころ、境要校長から二時限目一年E組の数学、三時限目一年C組の国語の学力調査実施を命じられた。しかしながら、同原告は、この職務命令を返戻した。

(2) 原告酒谷忠興関係

同原告は、江差町立日明中学校の教諭であったところ、昭和四一年六月二三日、同校の渋谷市四郎校長から、同月二四日に昭和四一年学力調査を実施することを命じられた。また、同原告は、同日朝、文書で学力調査実施を命じられた。しかしながら、同原告は、これに従わず、労務提供を拒否した。

(二) 争点

(原告大家美喜子及び原告酒谷忠興の主張)

原告大家美喜子が所属していた江差中学校の教諭のうち、学力調査実施の職務命令を返戻して平常どおりの授業を実施した教諭は、同原告を含め十数人いたにもかかわらず、懲戒処分を受けたのは同原告のみであった。原告酒谷忠興が所属していた日明中学校では、柳教諭、川端教諭、吉田教諭が同原告と同様に労務提供を拒否したが、懲戒処分を受けたのは、同原告のみであった。被告が同原告らのみを懲戒処分の対象としたのは、同原告らのみがいわゆる五・一三統一行動に参加したことを理由に一旦は訓告を受けたことがあったからである。

しかしながら、五・一三統一行動(北教組がその組合員に対し、昭和四一年五月一三日に公務員共同闘争全国統一行動の一環として、組合員の二割が年次有給休暇取得の手続により、賃金引上げ、教職員免許法改正阻止等の要求貫徹集会に参加することを指令したことによって行われた争議行為。以下「五・一三統一行動」という。)に関する懲戒処分につき北海道人事委員会は、昭和五二年一〇月二六日、被告が六三人の不服申立人に対してした懲戒処分を取り消す旨の裁決をしたから、五・一三統一行動に関する懲戒処分及び事実上の措置である訓告も法的には存在しなかったことになり、これを理由に同原告に対し、いわば累犯加重的に本件懲戒処分をしたのは、違法な処分である。

(被告の同原告らの右主張に対する反論)

同原告らに対する本件懲戒処分は、同原告らの昭和四一年学力調査についての職務命令違反を理由として、江差町教育委員会の内申に基づいてされたものであり、五・一三統一行動参加に関する訓告の事実を斟酌したものではない。

仮に、原告ら主張のとおり五・一三統一行動参加に関する訓告の事実が斟酌されていたとしても、訓告の措置は取り消されていないばかりか、いわゆる北教組マンモス裁判において、最高裁は、「五・一三統一行動は年次有給休暇に名を借りた同盟罷業にほかならないから、被上告人が本件各懲戒処分をするに当たり、右統一行動への参加を理由とする訓告の事実をしんしゃくしたことをもって、懲戒権者の裁量権の範囲を超え、これを濫用したものとすることはできない。」と判示している(最高裁判所第一小法廷平成四年九月二四日判決・裁判集民事一六五号四二八頁)から本件懲戒処分が違法となるものではない。

27  原告小原隆、原告今村詮郎及び原告武井司

(一) 争いのない事実

原告小原隆、原告今村詮郎及び原告武井司は、いずれも札幌市立福移中学校の教諭であったところ、昭和三六年一〇月二六日平常授業を実施した。

(二) 争点

(1) 原告今村詮郎及び原告武井司に対する職務命令の効力

(同原告らの主張)

同原告らが命じられたのはテスト採点員であり、補助員ではない。学力調査の採点員とは、市町村教育委員会が学校長を通さず直接に任命する者であって、生徒の答案を採点し結果の整理に当たる者である。また、採点員が学校の教員の場合には自校の生徒の採点を行うことはできない。したがって、小野校長がテスト採点員の任命を行うことはできないし、仮に小野校長にテスト採点員を命ずる権限が委譲されたとしても、同原告らはテスト採点をすることができないので、これに反したことを理由に懲戒処分を受けるいわれはない。

(2) 原告小原隆、原告今村詮郎及び原告武井司の学力調査妨害の事実の有無

(3) 懲戒権の濫用

(同原告らの主張)

同原告らは、他の不実施校の教員と特に異なった行動をとったわけではない。また、福移中学校の長嶋教諭は補助員に任命されながら二時限目の二年生の平常授業を行っているし、篠原教諭も補助員に任命されながら補助員としての職務は何も行っていない。被告が同原告らに対してのみ減給一〇分の一を六か月(人事委員会の裁決によって一か月に修正された。)という極めて重い懲戒処分をしたのは、懲戒権の濫用であって、取り消されるべきである。

28  原告冨田正義及び原告冨田不死子

(一) 争いのない事実

原告冨田正義及び原告冨田不死子は、八雲町立桜野中学校の教諭であったところ、昭和三六年一〇月二六日平常授業を行った。

(二) 争点

(被告の主張)

村里校長は、昭和三六年一〇月二五日、同原告らに対して文書で学力調査の補助員を命じたが、同原告らはいずれもこれを返戻した。また、村里校長が同月二六日、自ら学力調査を実施しようとしたところ、原告冨田不死子は、同日午前八時三〇分ころから学力調査の対象生徒を校外に連れ出して平常授業を行い、原告冨田正義は、右校外授業を終えた生徒に対して引き続き平常授業を行い、学力調査の実施を妨害した。

(原告冨田正義及び原告冨田不死子の主張)

(1) 懲戒権の濫用

学力調査は、学習指導要領の到達度テストとしての性格を有するところ、桜野中学校のような僻地の極めて変則的な教育活動を余儀なくされているところでは、学習指導要領に準拠した教育活動など全くできない状況にあった。このように学習指導要領が機能していない学校においては、学力調査を実施しても「学習指導要領の改善資料とする。」などの実施目的を果たすことはできない。また、テスト対象学年の生徒は学習指導要領に準拠した教育を受けていないばかりか、未履修教科のテストを受けなければならない状況にあったのに、学力調査の成績結果は、生徒の生涯記録ということのできる生徒指導要録に記載されることになっていた。同原告らが学力調査に反対したのは以上のような理由に基づくものであるから、被告の同原告らに対する本件懲戒処分は、懲戒権の濫用である。

(2) 職務命令の不成立あるいは無効

桜野中学校は、当時桜野小学校と合わせて三学級で編成され、村里校長が小学校一、二年生の担任、新井田教諭が小学校三ないし五年生の担任、小学校六年生と中学校一ないし三年生では原告冨田正義が担任、原告冨田不死子が副担任であったところ、村里校長は、昭和三六年学力調査の補助員を命じる文書を同原告らに渡したのみで、同日どのような職務を行うべきかについての説明は一切せず、授業計画の変更を命じることもしなかったし、学力調査実施に向けた具体的指示なども一切しなかった。昭和三六年学力調査の対象学年は中学二年生と三年生であり、学力調査の実施時間帯と平常授業時間帯とは異なるから、学力調査の実施と平常授業の実施を同時に行うことは物理的にも不可能であった。したがって、同原告らは、平常授業を実施したものであって、同原告らに職務命令違反があったともいえないし、同原告らに学力調査実施を妨げた懲戒事由があったともいえない。

29  原告横田協子、原告蜂谷智子、原告中野寛及び原告渡辺孝三郎

(一) 争いのない事実

原告横田協子、原告蜂谷智子、原告中野寛及び原告渡辺孝三郎は、八雲町立野田生中学校の教諭又は助教諭であったところ、昭和三六年一〇月二四日、同校の加藤幹愛校長から、文書で同月二六日に昭和三六年学力調査を実施する際の補助員に命じられたが、いずれもその文書を返戻した。

(二) 争点

(1) 職務命令の無効、懲戒権の濫用

(原告横田協子、原告蜂谷智子、原告中野寛及び原告渡辺孝三郎の主張)

加藤校長は、同月二四日学力調査の補助員を命じる旨の文書を同原告らに交付した際、調査対象外である一年生の授業をどのようにするのか(特に、原告横田協子及び原告蜂谷智子は一年生の担当であったのに、学力調査の補助員を命じられた。)、一一月三日に迫っていた学校祭に向けての練習をどのようにするのかについて全く指示をしなかった。また、加藤校長は、一〇月二六日の学力調査当日も、学力調査において職員はどのような作業をすればよいのか、どのような時間に学力調査を実施するのかについての指示を全くしなかった。したがって、同原告らは、平常授業の時間割に従って平常授業を実施するしかなかったのであって、学力調査当日の同原告らの行動に対して加藤校長から異議が出されたことはなかった。

(2) 年次休暇の取得

(原告渡辺孝三郎の主張)

同原告は、昭和三六年一〇月二四日午前八時二〇分ころ、同月二六日に年次休暇を取るべく、年次休暇願いを加藤校長が見ている前で高木教頭に提出したが、これに対して加藤校長は時季の変更を含め何も言わなかったので、同原告は同日の休暇を承認されたものと受け止めていた。加藤校長の同原告に対する学力調査の補助員を命じる職務命令は、右休暇申請後にされたものである。

(被告の主張)

仮に、同原告主張の年次休暇願いが提出されていたとしても、同原告はその後右職務命令を受け取った際あるいはこれを返戻する際、加藤校長に対して年次休暇願いを提出していることを告げていないこと、同原告は学力調査実施当日野田生中学校に出勤していることから、同原告には年次休暇取得の意思があったとは認められない。

30  原告櫻井昭男及び原告藤沢耕三

(一) 争いのない事実

原告櫻井昭男及び原告藤沢耕三は、八雲町立山崎中学校の教諭又は助教諭であったところ、昭和三六年一〇月二四日、同校の高島校長から、文書で同月二六日に昭和三六年学力調査を実施する際の補助員に命じられたが、いずれもその文書を返戻した。

(二) 争点

(1) 年次休暇の取得

(原告櫻井昭男及び原告藤沢耕三の主張)

同原告らを含む山崎中学校の教員は、一〇月一五日ころから学力調査当日の行動について、高島校長も参加している北教組の学校班会議で話し合いをしたところ、一〇月二六日の山崎中学校の授業は餌取教諭及び山吹教諭が行い、同原告らを含む三人の教諭は年次休暇を取って、他校に赴き学力調査の中止の説得をすることを決めた。高島校長も、右学校班での話し合い内容に反対はしなかった。同原告らは、同月二五日午後三時ころ、高島校長に対し、同月二六日の年次休暇申請をしたところ、高島校長は黙ってこれを受け取ったので、同原告らは年次休暇が認められたものと受け止めていた。

(2) 懲戒権の濫用

(原告櫻井昭男及び原告藤沢耕三の主張)

高島校長は同月二四日に同原告らに学力調査実施の補助員に命ずる旨の文書を配布する際、餌取教諭及び山吹教諭にのみ配付するものだが、一応全員に渡す旨述べて同原告らに文書を配付したから、同原告らは、校長からの右文書は当日平常授業を予定していた餌取教諭及び山吹教諭に対して渡されたものと考えていた。また、高島校長は、学力調査当日、平常授業をしていた教員に授業の中止を命じたり、学力調査を受けさせる態勢を作らせるとかの具体的指示をせず、ラジオを聞いており、学力調査を実施する気持ちを持っていなかったことが明らかである。したがって、同原告らに対する本件懲戒処分は懲戒権の濫用であって、取消しを免れない。

第三法律上の争点に対する判断

一  本件学力調査自体の適法性

子どもの教育が、教員と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、子どもの個性に応じて弾力的に行わなければならず、そこに教員の自由な創意と工夫が要請されるものではあるが、このことから教育内容に対する行政の権力的介入が一切排除されていると解することはできない。すなわち、教育基本法一〇条によって、教育に対する行政権力の不当、不要の介入は排除されるべきであるとしても、許容される目的のために必要かつ合理的と認められる権限の行使は、たとえ教育の内容及び方法に関するものであっても、必ずしも同条の禁止するところではないと解される。

本件調査実施要綱に記載された本件学力調査の目的は、

1  文部省及び教育委員会においては、教育課程に関する諸施策の樹立及び学習指導の改善に役立たせる資料とすること

2  中学校においては、自校の学習の到達度を全国的な水準との比較においてみることにより、その長短を知り、生徒の学習の指導とその向上に役立たせる資料とすること

3  文部省及び教育委員会においては、学習の改善に役立つ教育条件を整備する資料とすること

4  文部省及び教育委員会においては、育英、特殊教育施設などの拡充強化に役立てる等今後の教育施策を行うための資料とすること

であり、本件学力調査は、生徒の学力の実態をとらえ、学習指導、教育課程及び教育条件の整備改善に役立つ基礎資料を得ることを目的とするものである(かつ、〈証拠略〉によれば、文部省は、本件学力調査の結果を男女別の得点分布、学校間の学力差、都道府県間の学力差、地域類型別にみた学力、学校規模及び学級規模と学力の関係、教員数、設備と学力の関係、心身障害者と学力の関係等様々に分析していることが認められる。)から、文部大臣が全国の小、中学校の生徒の学力をできるだけ正確かつ客観的に把握するためには、全国の小、中学校の生徒に対し同一の試験問題によって同一の調査期日に同一時間割で一せいに試験を行うことが必要であると考えたとしても決して不合理とはいえない。そして、市町村教育委員会は、地教行法二三条一七号による当該地方公共団体の教育にかかる調査をする権限を有しているから、市町村教育委員会がその地域のあるいは学校の生徒の学力について全国水準との比較において実態をとらえることが可能となるものであるとして、この機会をとらえて学力調査の実施を決定したことも同様に市町村教育委員会の目的に適うものといえる(最高裁判所大法廷昭和五一年五月二一日判決・刑集三〇巻五号六一五頁)。

ところで、原告らは、各市町村教育委員会は、文部大臣及び被告の要請に従って、法律上応じる義務がない調査を行ったのであるから本件学力調査は違法である旨主張する。しかしながら、右のとおり、市町村教育委員会は、当該地方公共団体の教育にかかる調査をする権限を本来有しており、本件学力調査の実施を決定するか否かについての裁量が与えられていなかったことを認めるに足りる証拠はないから、文部大臣あるいは被告からの要請は、市町村教育委員会が本件学力調査の実施を決定したことのきっかけあるいは動機として評価せざるを得ない。したがって、原告らの右主張は採用できない。

そして、本件学力調査は、個々の生徒の成績評価を目的とするものではなく、教育活動そのものとは性格を異にするものであり、教育に対する実質的介入をしたものということもできない。また、試験実施のために試験当日限り各小、中学校における授業計画の変更を余儀なくされることになるとしても、右変更が年間の授業計画全体に与える影響としては実質上各学校の教育内容の一部を変更させるほどのものではなく、前記の本件学力調査の必要性によって正当化することができないものではない(前記最高裁大法廷判決)。

原告らは、本件学力調査によって成績競争の激化、教員による不正行為の発生等の弊害が生じたと主張する。しかしながら、個々的には右のような弊害が生じ、生徒指導要録に調査結果の換算点を記録するなど調査の結果の利用方法の問題点があったからといって、それが当不当の範囲を超えて本件学力調査実施に違法をもたらすものとは認められない。

したがって、本件学力調査が教育基本法一〇条一項にいう教育に対する「不当な支配」にあたるとすることは相当ではなく、結局本件学力調査自体を違法であるということはできない。

二  市町村教育委員会の校長に対する学力調査実施の職務命令の適法性

市町村教育委員会は、市町村立の学校を所管する行政機関として、その管理権に基づき、学校の教育課程の編成についての基準を設定し、一般的な指示を与え、指導、助言を行うとともに、特に必要な場合には具体的な命令を発することもできると解するのが相当であるから、市町村教育委員会が各学校長に対し、授業計画を変更して学校長をテスト責任者としてテストの実施を命じたことは、手続的には適法な権限に基づくものというべきである(前記最高裁大法廷判決)。

三  校長の教諭、助教諭に対する学力調査実施の職務命令の適法性

校長は、学校教育法二八条三項、四〇条により校務をつかさどり、所属職員を監督する権限が与えられているから、校務実施上必要な職務命令を発することができるものと解するのが相当であるところ、市町村教育委員会から命じられた本件学力調査は、右校務に含まれることが明らかであるから、校長は、所属職員に対して学力調査実施上必要な職務命令を発することができる。

そして、教職員は、地教行法四三条二項によって、市町村教育委員会その他職務上の上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない法律上の義務を負っていることが明らかである。

四  授業計画の変更手続を欠く学力調査実施の職務命令の有効性

市町村教育委員会は、市町村立の学校を所管する行政機関として、その管理権に基づき、学校の教育課程の編成についての基準を設定し、一般的な指示を与え、指導、助言を行う権限を有すると解される(前記最高裁大法廷判決)ところ、市町村立の学校は学校設置者が事業主体であり、学校は独立の教育事業の主体ではないから、市町村教育委員会において直接の指示、指導、助言等の対象となるのは、校務をつかさどり、所属職員を監督する権限が与えられている校長以外には想定できないと考えられる。したがって、学校において教育課程を編成する責任は、教育委員会の指導の下にある校長にあるといわざるを得ない。

ところで、現実には、学校において教育課程の編成作業を校長がすべて行っているのではなく、個々の教員の意見を聴取しあるいは職員会議の議を経て教育課程の編成がされているものであろうが、そのことと教育課程の編成の責任と権限を校長が有することとは決して矛盾するものではないから、教員あるいは職員会議が独自に教育課程を編成する権限を有するとの原告らの主張は、一つの見識として評価されるべきものではあるものの、現行法はこれを予定していないと言わざるを得ない。この点についての原告らの主張は採用できない。

以上のとおりで、校長が職員会議の議を経ずに授業計画の変更を指示した(学力調査の実施の指示がすでに各学校で決められている授業計画の変更をもたらすことは明らかである)からといってこれを違法ということはできないし、学力調査の結果実施できなかった授業がその後どのように実施あるいは中止されるかが判然としなかっただけで授業計画変更の指示が直ちに違法となるものではない。

五  昭和三六年学力調査についてされた懲戒処分は、公平原則、平等原則に違反する違法な処分か。

1  校長について

原告らは、職務命令に違反しながら処分内申がされていない者、処分内申がされたのに処分されなかった者がおり、処分されなかった理由は一切明らかにされていないから、校長に対する本件懲戒処分は恣意的に行われたものである旨主張する。他方、被告は、処分内申がされなかった者については、翌年度である昭和三七年度の学力調査を円満に実施するためなどの理由で処分内申がされなかった、処分内申がされた校長のうち一六九人のみが処分されたのは、非処分者については、学力調査不実施の責任が当該校長にあるとは認められなかった、内申の事由となった事実がなかったなどの理由によるものである旨主張している。しかしながら、処分内申がされていない者、処分内申がされたのに処分されなかった者がいた理由について、これを具体的に証明する証拠は本件全証拠によっても見当たらないから、原告らが主張するように本件懲戒処分が恣意的に行われたとまで断定することはできず、したがって、本件懲戒処分が不平等、不公平な処分であるともいえないから、本件懲戒処分が懲戒権の濫用であるとはいえない。

2  教員について

原告らは、処分内申がされたのに処分されなかった者がおり、かつ地域的に不均衡が存在する、処分されなかった理由は一切明らかにされていないから、教員に対する本件懲戒処分は恣意的に行われたものである旨主張する。他方、被告は、処分内申がされた教員のうち一一〇人のみが処分されたのは、非処分者については、分校主任または校長代理として学力調査の不実施の責任が同人らに存在するとは認められなかった、内申の事由となった事実がなかった、供述書の提出等改悛の情が認められたことを考慮したこと、などの理由によるものである旨主張する。しかしながら、処分内申がされたのに処分されなかった者がいた理由について、これを具体的に証明する証拠は本件全証拠によっても見当たらないから、原告らが主張するように本件懲戒処分が恣意的に行われたとまで断定することはできず、したがって、本件懲戒処分が不平等、不公平な処分であるともいえないから、本件懲戒処分が懲戒権の濫用であるとはいえない。

六  昭和四一年学力調査の際、非抽出実施校における違反者に対してされた本件懲戒処分は、公平原則、平等原則に違反する違法な処分か。

(原告吉水正明、原告上田弓人、原告佐藤修司、原告谷藤八重子、原告高野亮、原告曽我敏明、原告丸田功、原告佐藤奨、原告小椋政義及び原告戸川健治関係。なお、原告大家美喜子及び原告酒谷忠興については、後に「第四本件懲戒処分事由に関する争点に対する判断九」の部分で検討するので、その余の原告に関する主張について検討する。)

原告らは、昭和四一年学力調査の際北海道内の非抽出実施校において、少なくとも一五八九人の教員が職務命令に違反していたことが推計できるのに、被告が市町村教育委員会から処分内申を受けたのは三四人、そのうちで更に処分を受けたのはわずか二〇人にすぎないから、本件懲戒処分は組合活動家をねらい撃ちしたものである旨主張する。他方、被告は、同原告らに対する本件懲戒処分は、市町村教育委員会の内申に基づいてされたものであり、内申がされた者のうちで懲戒処分をされなかった者については、供述書の提出があり、学力調査実施に関する職務命令を拒否、返上したことについて反省が顕著であると認められるなどの理由で処分の対象としなかったのであり、組合活動家をねらい撃ちしたものではない旨主張する。

そこで検討すると、地教行法三八条一項によれば、都道府県教育委員会は市町村教育委員会の内申をまって職員の任免その他の進退を行うものとされており、被告は原則として市町村教育委員会の内申がなければ懲戒処分をすることができないから、内申がなかった結果処分がされなかった者と処分がされた者との間の不均衡があったからといって、これをもって直ちに公平原則、平等原則に反する違法な状態であるということはできない。次に、内申がされた者のうちで懲戒処分を受けていない者がいる理由について、原告らが主張する組合活動家であることのみを理由として処分したとまでは断定できる証拠もないから、被告の本件懲戒処分を裁量権の濫用であるとまで認めることはできない。

第四本件懲戒処分事由に関する判断

一  校長に対する懲戒処分事由に対する判断

(被処分者伴野利雄、被処分者羽田守信、原告村上勲、被処分者熊坂長治、原告野田繁雄、被処分者竹内寛、原告森下幸次郎、被処分者岸猪佐雄、被処分者木下貞四郎、原告小早川時平、原告石川七郎、被処分者今安慎一、被処分者前田敏一、原告齋藤喜太郎、原告坪井、被処分者堀合重夫、被処分者中野忠次郎及び原告尾村褜治関係)

1  被処分者伴野利雄関係

同人が昭和三六年一〇月一七日、鹿追町教育委員会から、同人を昭和三六年学力調査の責任者とすること、鹿追中学校の職員の中から学力調査実施の補助員を選択してその氏名を鹿追町教育委員会に報告すること、同月二六日の授業計画を変更して学力調査を実施することの指示を受けたにもかかわらず、同月二六日の授業計画の変更を行わず、学力調査の実施の指示をしなかったことは、当事者間に争いがない。したがって、同人は、授業計画の変更等の措置をとらなかったことのみをもって職務命令に違反していることになり、懲戒処分事由とされてもやむを得ないものというべきである。

ところで、原告伴野トミヨ、原告伴野隆、原告柏木康子、原告渡邉昌子、原告伴野厚子、原告白井克子及び原告伴野幸子は、被処分者は昭和三六年一〇月二四日から同月二六日までの間に、所属職員との協議、職員会議の招集等を行って学力調査実施に向けた努力を払った旨主張する。しかしながら、同人は、同人が校長として法律上なしうる補助員の任命、授業計画の変更、学力調査実施の指示をしていないのであるから、仮に被処分者伴野利雄が右主張のような努力を払ったとしても、学力調査実施のために法律上可能な手段を尽くしたとまではいえず、懲戒処分を免れる理由とは認められない。

2  被処分者羽田守信関係

(一) 懲戒事由及び争点(1)について

羽田守信が美瑛町教育委員会から文書で、同人を昭和三六年学力調査の責任者とすること、美瑛中学校の職員の中から学力調査実施の補助員を文書で任命してその氏名を美瑛町教育委員会に報告すること、同月二六日の授業計画を変更して学力調査を実施することの指示を受けたにもかかわらず、同月二六日の授業計画の変更を行わず、学力調査の実施の指示をしなかったことは、当事者間に争いがない。原告羽田ゆき子、原告飯坂宗子、原告上杉許子、原告西川武子、原告久本公子、原告高橋敬子、原告羽田信武及び原告羽田信昌は、羽田守信は昭和三六年一〇月二五日午前一一時五〇分からの緊急職員会議で所属教員に対して学力調査の補助員となることを命じたと主張し、(証拠・人証略)によれば、右会議において口頭で所属教員に対して学力調査の補助員となることを命じる職務命令を出したことが認められる。しかしながら、羽田守信は、文書で補助員を任命していないばかりか、授業計画の変更及び学力調査実施の指示もしていないのであり、学力調査実施のために法律上可能な手段を尽くしたとはいえないから、職務命令違反を理由に懲戒処分を受けたこともやむを得ない。また、原告らのその余の争点(1)に関する主張は、懲戒処分を免れる理由とは認められない。

(二) 争点(2)について

原告らは、美瑛町内で昭和三六年学力調査が実施されなかった三校の不実施の態様にさしたる差異がなかった旨主張する。しかしながら、右主張のとおりであったとしても、懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該公務員の右行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等、諸般の事情を考慮することができると解すべきである(最高裁判所第三小法廷昭和五二年一二月二〇日判決・民集三一巻七号一一〇一頁)から、不実施の態様が他校とさしたる差異がなかったというだけで直ちに被告が羽田守信にした本件懲戒処分が懲戒権の濫用として違法となるものとはいえない。

3  その余の校長関係

(原告村上勲、被処分者熊坂長治、原告野田繁雄、被処分者竹内寛、原告森下幸次郎、被処分者岸猪佐雄、被処分者木下貞四郎、原告小早川時平、原告石川七郎、被処分者今安慎一、被処分者前田敏一、原告齋藤喜太郎、原告坪井、被処分者堀合重夫、被処分者中野忠次郎及び原告尾村褜治関係)

その余の校長に対する懲戒処分事由については、原告あるいは被処分者ごとに若干の違いがあるものの、学力調査実施のために補助員を任命し、授業計画を変更して学力調査を実施せよとの職務命令を市町村教育委員会から受けたにもかかわらず、補助員の任命、授業計画の変更等を行わず、学力調査を実施しなかったことは当事者間に争いがない。

したがって、補助員の任命、授業計画の変更等の措置をとらなかったことのみをもって職務命令に違反していることになり、懲戒処分事由とされてもやむを得ないものというべきである。原告らは、学力調査実施に向けた努力を払った旨の主張をしているが、校長として法律上なしうる補助員の任命、授業計画の変更、学力調査実施の指示をした旨の主張も立証もない以上、学力調査実施のために法律上可能な手段を尽くしたとまではいえず、懲戒処分を免れる理由とは認められない。

二  原告吉水正明関係の争点に対する判断

1  懲戒事由の存否について

同原告が半野校長から学力調査実施の指示を受けたことは当事者間に争いがなく、同原告がこれを返戻してこれに従わない意見を表明したことは、(証拠略)、原告吉水正明によって明らかである。したがって、この事実のみをもってしても、同原告が職務命令に違反した懲戒事由があることになり、懲戒処分を受けてもやむを得ないものというべきである。

ところで、同原告は、その後の昭和四一年六月二四日午前九時ころ、半野校長から、「先生はうしろに立っていなさい。」との命令を受け、その命令どおりに教室の後ろに立っていた旨主張し、(証拠略)及び原告吉水正明本人によれば、その事実が認められる。しかしながら、教室の後ろに立っているようにとの職務命令に応じたからといって、前の職務命令違反(返戻)が償われるものではないから、同原告には懲戒事由があるといわざるを得ない。

2  懲戒処分の平等原則違反、公平原則違反について

(証拠略)によれば、松前町内の小中学校において、四一年学力調査についての労務提供を拒否した教員が原告吉水正明、原告上田弓人及び原告佐藤修司のほかにもいたものの、懲戒処分を受けたのは同原告らと松前中学校の一五人を合わせた一八人に過ぎなかったことが認められる。しかしながら、同原告らに対する本件懲戒処分は、松前町教育委員会の内申に基づいてされたことが認められるところ、弁論の全趣旨によれば、処分を受けなかった教員については内申がされていないことが認められる。したがって、懲戒処分がされたか否かは松前町教育委員会の内申がされたか否かにかかっていたものであり、処分が原則として内申をまってはじめてなすべきものとされている以上(地教行法三八条)、本件懲戒処分を平等原則あるいは公平原則に違反する違法な処分であるとみることはできない。

なお、松前中学校に勤務していた一五人の教諭は、昭和四一年学力調査について労務提供を拒否したことを理由として被告から懲戒処分をうけたものの、北海道人事委員会の裁決によって懲戒処分を取り消され(証拠略)、これによって松前町内で四一年学力調査についての労務提供拒否を理由に懲戒処分を受けその効力が維持されているのは同原告らのみとなっているが(弁論の全趣旨)、であるからといって、本件懲戒処分が違法となるとまではいえない。

三  原告上田弓人及び原告佐藤修司関係の争点に対する判断

1  懲戒事由の存否及び職務命令の撤回について

原告上田弓人及び原告佐藤修司はいずれも松前小学校の教諭であったところ、昭和四一年六月二三日昼ころ同校の矢本校長から、学力調査の実施を委嘱する旨の職務命令(第一の職務命令)を受けたにもかかわらず職務命令を返戻したことは、当事者間に争いがない。したがって、この事実のみからして、同原告らが職務命令に違反した懲戒事由があることが認められ、懲戒処分を受けてもやむを得ないものというべきである。

同原告らは、矢本校長が同月二四日、五年一組は本間教頭、五年二組は学校長が学力調査を実施する、同原告らは担任の教室の後にいることを命じ(第二の職務命令)、同原告らがこれを受け入れたこと(以上の事実は〈証拠・人証略〉及び原告上田弓人本人によって認められる。)によって、これと矛盾する第一の職務命令は撤回された旨主張する。たしかに、第一の職務命令と第二の職務命令は学力調査の実施方法としては両立しない方法と評価できるが、矢本校長は、同原告らが第一の職務命令を返戻してこれに従わなかったので、その後に第二の職務命令によって学力調査の実施を試みたものであって(〈証拠・人証略〉)、第二の職務命令が第一の職務命令を撤回したことにはならないことが明らかである。

2  懲戒処分の平等原則違反、公平原則違反について

(証拠略)及び弁論の全趣旨によれば、松前町内の小中学校において、昭和四一年学力調査についての労務提供を拒否した教員が原告上田弓人、原告佐藤修司及び原告吉水正明のほかにもいたことが認められるものの、懲戒処分を受けたのは松前町教育委員会から内申のあった同原告らと松前中学校の一五人を合わせた一八人に過ぎず、処分を受けなかった教員については内申がされていないことが認められる。したがって、懲戒処分がされたか否かは松前町教育委員会の内申がされたか否かにかかっていたものであり、懲戒処分が原則として教育委員会の内申をまってはじめてなしうるものとされている(地教行法三八条)以上、本件懲戒処分を平等原則あるいは公平原則に違反する違法な処分であるとみることはできない。

なお、右懲戒処分を受けた一八人のうち松前中学校に勤務していた一五人の教諭は、北海道人事委員会の裁決によって懲戒処分を取り消され(〈証拠略〉)、これによって松前町内で四一年学力調査についての労務提供拒否を理由に懲戒処分を受けその効力が維持されているのは同原告らのみとなっているが(弁論の全趣旨)、であるからといって、本件懲戒処分が違法となるとまではいえない。

四  原告谷藤八重子、原告高野亮、原告曽我敏明及び原告丸田功関係の争点に対する判断

1  懲戒事由について

原告谷藤八重子、原告高野亮、原告曽我敏明及び原告丸田功は、いずれも枝幸町立枝幸中学校の教諭であったところ、昭和四一年六月二三日、同校の大谷幸一校長から同月二四日に昭和四一年学力調査を実施する旨の職務命令を受けたにもかかわらず、職務命令を返戻して平常授業を行ったことは、当事者間に争いがない。したがって、右の職務命令に違反したという懲戒事由が存在することが認められる。原告らが主張する当時の枝幸中学校の状況は、それだけでは直ちに職務命令の無効をもたらすものとは認められない。

2  本件懲戒処分が権利の濫用にあたるかについて

同原告らは、当時の枝幸中学校の状況を考えてその生徒のために職務命令を拒否したものであるから、同原告らに対して被告が本件懲戒処分をするのは権利の濫用として許されない旨主張するが、被告が懲戒処分をするにあたって、違反者の主観的態様を必ず考慮しなければならないとまではいえないばかりか、仮に同原告らが主張するような主観的意思を有していたことを斟酌しても直ちに被告の同原告らに対する本件懲戒処分が懲戒権の濫用にあたるとまでは認められない。

3  本件懲戒処分は平等原則に違反するか。

同原告らは、枝幸中学校では一一人の教諭が職務命令を返上して平常授業を実施したにもかかわらず、懲戒処分を受けたのは同原告らを含む六人のみであった旨主張する。しかしながら、右主張のとおりであったとしても、前記のとおり、懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか当該公務員の右行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等、諸般の事情を考慮することができると解すべきであるから、仮に行為の態様において自校の懲戒処分を受けていない他の教諭とさしたる差異がなかったというだけで直ちに被告が同原告らにした本件懲戒処分が懲戒権の濫用として違法となるものとはいえない。

五  原告佐藤奨、原告小椋政義及び原告戸川健治関係の争点に対する判断

1  懲戒事由について

原告佐藤奨は枝幸町立問牧小学校の、原告小椋政義及び原告戸川健治はいずれも枝幸町立問牧中学校の教諭であったところ、昭和四一年六月二三日、問牧小学校及び同中学校の富樫正吉校長から、同月二四日に昭和四一年学力調査を実施する旨の職務命令を受けたにもかかわらず、同原告らは右職務命令を返戻したことは当事者間に争いがない。したがって、右の職務命令に違反したという懲戒事由が存在することが認められる。

2  同原告らの主張(1)について

同原告らの(1)の主張は、問牧小中学校の昭和四一年当時の教育条件が改善すべき状況であったことを前提とするものであるが、その教育条件がどの程度であったかという点を含めて学力調査を実施する目的が全くなかったとまでは認められない以上、学力調査の実施を命じた富樫校長の職務命令が無意味であるとはいえないし、原告らに対する本件懲戒処分が懲戒権の濫用であるともいえない。

3  同原告らの主張(2)について

右1で認定のとおり、同原告らには昭和四一年六月二三日に職務命令を返戻した懲戒事由が存在するところ、その後は同原告らが富樫校長の具体的指示にすべて従って行動をし、また原告小椋に対しては富樫校長からの具体的指示が全くなかったからといって、右懲戒事由が償われるものではないから、同原告らに対する本件懲戒処分が懲戒権の濫用であるとは認められない。

4  同原告らの主張(3)について

原告佐藤奨は、富樫校長から原告佐藤奨に対する学力調査実施の職務命令は、実施不可能で無効な職務命令であった旨主張する。しかしながら、富樫校長の学力調査実施の職務命令は、とにかく五年生については学力調査を実施するようにとの趣旨であることが明らかであるから、六年生については自習その他適宜の方法によって授業を実施することが不可能ではないと考えられ、そうである以上、実施不可能で無効な職務命令であったとまでは認められない。

六  原告下山龍太郎関係の争点に対する判断

1  懲戒事由について

原告下山龍太郎は、釧路市立共栄小学校の教諭であったところ、昭和四一年六月二二日、同校の森川英男校長から同月二四日に学力調査を実施する旨の職務命令を受けたが、同日午前八時三五分ころ、右職務命令を返戻したことは当事者間に争いがない。したがって、右の職務命令に違反したという懲戒事由が存在することが認められる。

2  同原告の主張について

同原告の主張は、同月二二日中に共栄小学校に対し、五年五組の児童が赤痢に罹患した旨の連絡があったことを前提としているが、職務命令が出された同日までに右連絡があったことを認めるに足りる証拠はないから、職務命令が違法であるとはいえない。また、同原告は、同月二四日午前一〇時にはその児童が真性赤痢である旨の連絡が共栄小学校に対してされたと主張するが、これを裏付ける具体的な証拠はなく、(証拠略)によっても校長がその時点までにその児童が真性赤痢であることの連絡を受けたことを認めるに足りない。したがって、同原告に対する職務命令が違法であるとまでは認められない。

七  原告加藤忠史関係の争点に対する判断

1  懲戒事由について

原告加藤忠史は釧路市立駒場小学校の教諭であったところ、昭和四一年六月二三日、同校校長から文書で同月二四日に昭和四一年学力調査を実施する旨の職務命令を受けたが右職務命令を返戻したことは、当事者間に争いがない。したがって、右の職務命令に違反したという懲戒事由が存在することが認められる。

2  争点について

同原告が主張する事実は、懲戒事由の存在を否定するものではなく、懲戒処分の効力を左右するものともいえない。

八  原告富塚英明関係の争点に対する判断

1  懲戒事由について

原告富塚英明は釧路市立清明小学校の教諭であったところ、昭和四一年六月二三日、同校の校長から同月二四日に昭和四一年学力調査を実施する旨の職務命令を受けたが、右職務命令を返戻したことは、当事者間に争いがない。したがって、右の職務命令に違反したという懲戒事由が存在することが認められる。

2  争点について

右のとおり、同原告には右職務命令に違反した懲戒事由が存在するところ、その後に同原告が学力調査の実施を命じられた教頭の了解を得て児童の健康管理のために五年一組の教室に居り、ある児童の健康状態の悪化を受けてその処理と保護にあたったとしても、そのことによって右懲戒事由が消滅するものではない。同原告が主張するその余の事実は、懲戒事由の存在を否定するものではなく、懲戒処分の効力を左右するものとも認められない。

九  原告大家美喜子及び原告酒谷忠興関係の争点に対する判断

1  懲戒事由について

(一) 原告大家美喜子関係

同原告は江差町立江差中学校の教諭であったものであるが、同校の境要校長から、昭和四一年六月二三日、同月二四日に昭和四一年学力調査を実施すること及び同日の授業計画を変更することを、同月二四日午前八時〇五分ころ、二時限目一年E組の数学、三時限目一年C組国語の学力調査を実施することをそれぞれ命じられたにもかかわらず、この職務命令を返戻したことは当事者間に争いがない。

(二) 原告酒谷忠興関係

原告酒谷忠興は江差町立日明中学校の教諭であったものであるが、同校の渋谷市四郎校長から、昭和四一年六月二三日、同月二四日に昭和四一年学力調査を実施することを口頭で、同月二四日朝には、更に文書で学力調査実施をそれぞれ命じられたにもかかわらず、これに従わず、労務提供を拒否したことは当事者間に争いがない。

2  争点に対する判断

江差町教育委員会では、昭和四一年学力調査について、職務命令を返戻しあるいは労務提供を拒否した教諭について所属の各校長から報告を受け、江差中学校及び日明中学校において職務命令を返戻しあるいは労務提供を拒否した教諭のうち、いわゆる五・一三統一行動に参加したことで訓告を受けたことがあることのみを理由として原告大家美喜子及び原告酒谷忠興を選別して被告に対して処分の内申をしていること、江差町教育委員会が江差中学校及び日明中学校で職務命令を返戻しあるいは労務提供を拒否したにもかかわらず処分の内申をしなかった教諭と同原告らとの間で、学力調査についての職務命令違反の程度には差がなかったことが認められる(〈証拠略〉)。

ところで、五・一三統一行動に参加したことを理由に北海道教育委員会から懲戒処分を受けた者は、その全員が北海道人事委員会に対して懲戒処分の取消しを求めたところ、北海道人事委員会は、昭和五二年一〇月二六日、請求者らの年次休暇申請は北教組の指令に基づく争議行為である五・一三統一行動に参加するためにされたものであるものの、右休暇申請に対して校長らが不承認としたとしても、事業の正常な運営を妨げる場合にあたることを認めるに足りず、時季変更権の行使としての効力を生じないとの理由で請求者全員に対する懲戒処分を取り消す旨の裁決をしている(〈証拠略〉、弁論の全趣旨により、同裁決は現在まで取り消されていないことが認められる。)。そして、原告大家美喜子及び原告酒谷忠興も五・一三統一行動に参加して訓告を受けたところ、訓告は懲戒処分ではないから、その取消しを北海道人事委員会に求めることはできなかったものの、仮に法的にその取消しを求めることができるものとすると、北海道人事委員会において取り消されることが必定であったものと認めることができる(弁論の全趣旨。この認定に反する具体的証拠はない。)。

したがって、本件懲戒処分をする前提として江差町教育委員会が被告に対してした原告大家美喜子及び原告酒谷忠興に関する内申は、法的に考慮してはならない事実を考慮して同原告らのみを不当に選別して処分の内申をした重大な違法があるものと言わざるを得ず、その内申に基づいて被告が同原告らに対してした本件懲戒処分は、被告においてその事実を知っていたか否かを問わず、取り消しうべき違法性を帯びると解するのは相当である。

被告は、最高裁判所第一小法廷平成四年九月二四日判決(いわゆる北教組マンモス訴訟判決)を引用して、五・一三統一行動は年次有給休暇に名を借りた同盟罷業にほかならないから、被告が本件各懲戒処分をするにあたり、右統一行動への参加を理由とする訓告の事実を斟酌したことをもって、懲戒権者の裁量権の範囲を超え、これを濫用したものとすることはできない旨主張する。しかしながら、右訴訟は、人事院勧告凍結に対する争議行為としていわゆる一斉休暇闘争に参加した者に対する懲戒処分の取消しを求めたものであったところ、右最高裁判決は、五・一三統一行動はいわば同種の争議行為であるから、これを右懲戒処分において考慮したことをもって裁量権の範囲を超えたものとみることはできない旨判断したものにすぎず、異なった争議行為の場合である本件についてまで五・一三統一行動に参加したことを考慮できる旨判断したものではないから、本件とは事案を異にする。被告の右主張は採用できない。

以上の検討によって、被告の同原告らに対する本件懲戒処分は取消しうべき違法性があるといえるから、取消しを免れない。

一〇  原告小原隆、原告今村詮郎及び原告武井司関係の争点に対する判断

1  原告小原隆、原告今村詮郎及び原告武井司は、いずれも札幌市立福移中学校の教諭であったところ、昭和三六年一〇月二六日平常授業を実施したことは当事者間に争いがない。そこで、まず懲戒事由の判断の前提となる事実関係について検討する。

(証拠・人証略)によれば、次の事実が認められる。

(一) 小野校長は、昭和三六年一〇月初旬ころ、教育委員会から一〇月二六日の学力調査実施の職務命令を受け、同月二一日、二三日、二五日に職員会議を開き、二五日には小野校長が教育委員会から職務命令が出ましたと同原告らに伝えた。福移中学校の教諭は全員が学力調査の実施に一貫して反対の態度をとっていた。

(二) 同月二六日の午前八時一五分ころ、小野校長は、職員朝会の席上で同原告らに学力調査実施の職務命令書を各自が着席している机の上に置く形式で配付した。小野校長が職務命令書を配付し終わって自分の机に戻ったところ、原告小原隆及び原告今村詮郎は組合の班長である原告武井司にその職務命令書を渡し、原告武井司は、集められた職務命令書を受け取れない旨述べて小野校長に返戻した。小野校長は、君らが協力しないのなら自分一人でやる、妨害しないで欲しい旨述べた。

(三) 同原告らは、朝会後、同日八時三〇分から通常授業を始めたので、小野校長は、八時四〇分ころ及び八時五〇分ころの二回にわたって学力調査の対象となっていた中学校二年生と三年生の教室にテスト用紙を持参し、学力調査を実施するとして平常授業を中止することを求めた(求めたことは、当事者間に争いがない。)ところ、二年生の教室では原告武井司が「平常授業を実施しているのでやめません。」と答えて、三年生の教室では原告今村詮郎が「平常授業をします。」と答えて、小野校長による学力調査の実施を拒んでいずれも平常授業を続行した。

(四) その後、小野校長は、教育委員会からあくまで学力調査を実施するようにとの指示を受け、同日一〇時一〇分ころ、臨時集合のベルを鳴らして全職員を職員室に集合させ、自分が二年生、三年生の教室を合併して学力調査を実施するから実施を妨害しないようにと言って三年生の教室に赴いた。三年生の教室には平常授業の三時限目(一〇時二〇分から一一時〇五分)の準備のためすでに生徒の約半数は音楽室に移動を行っていたため、残りの約半数の生徒しかいなかったところ、小野校長は、三年生の教室にいた生徒に対し、テストを実施するから二年生の教室に机を持っていくよう告げた。その直後にその場に駆け付けた原告小原隆は、小野校長の前に立って、生徒に対し、音楽室に行くよう指示した。生徒は戸惑っていたが、結局全員が原告小原隆の指示に従って音楽教室に行った。

(五) 次に、小野校長は、二年生の教室に赴いた。二年生の教室には平常授業である野外写生の準備のためにすでに生徒の約半数は校庭に出ていたため、残りの約半数の生徒しかいなかったところ、小野校長は、二年生の教室にいた生徒に対し、テストを実施するからと告げた。ところが、原告今村詮郎が小野校長の前に立って、生徒に対し、野外写生をするから外に出るよう指示した。生徒は、戸惑っていたが、全員が原告今村詮郎の指示に従って教室を出て行ってしまった。

2  争点(1)及び(2)について

前記争いのない事実及び認定事実をもとにして、原告らの懲戒事由について判断する。

(一) 原告小原隆の懲戒事由について

前記認定事実のとおり、原告小原隆は、小野校長から自分が二年生、三年生の教室を合併して学力調査を実施するから実施を妨害しないようにと言われたにもかかわらず、小野校長が三年生の教室で三年生の生徒にテストを実施するから二年生の教室に机を持っていくように告げている最中に、生徒に対し、音楽室に行くよう指示して学力調査の実施を妨げたことが認められる。したがって、同原告には学力調査の実施を妨害した懲戒事由があることが認められる。

(二) 原告今村詮郎の懲戒事由について

前記認定事実のとおり、原告今村詮郎は、三年生に対する平常授業の実施中に小野校長から学力調査を実施するから平常授業を中止するよう要請されたにもかかわらず、平常授業をしますと答えて小野校長による学力調査の実施を拒んで平常授業を続行したことが認められる。したがって、同原告には学力調査の実施を妨害した懲戒事由があることが認められる。

(三) 原告武井司の懲戒事由について

前記認定のとおり、原告武井司は、二年生に対する平常授業の実施中に小野校長から学力調査を実施するから平常授業を中止するよう要請されたにもかかわらず、平常授業を実施しているのでやめませんと答えて小野校長による学力調査の実施を拒んで平常授業を続行したことが認められる。したがって、同原告には学力調査の実施を妨害した懲戒事由があることが認められる。

(四) 以上のとおり、同原告らには学力調査の実施を妨害した懲戒事由があることが認められ、右事由は一か月間減給一〇分の一の懲戒処分(前記のとおり、被告は、同原告らに対して六か月間減給一〇分の一の懲戒処分をしたが、人事委員会の裁決により一か月減給一〇分の一に修正されている。)に付するに相当な事実であったと認めることができる(したがって、その余の点については判断しない。)。

3  争点(3)について

原告らは、同原告らが他の不実施校の教員と特に異なった行動をとったわけではない、福移中学校の中でも長嶋教諭及び篠原教諭は補助員に任命されながら補助員としての職務は行っていない旨主張する。しかしながら、右主張のとおりであったとしても、懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該公務員の右行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等、諸般の事情を考慮することができると解すべきであるから、行為の態様にさしたる差異がなかったというだけで直ちに被告が同原告らにした本件懲戒処分が懲戒権の濫用として違法となるものとはいえない。

一一  原告冨田正義及び原告冨田不死子関係の争点に対する判断

1  原告冨田正義及び原告冨田不死子は、八雲町立桜野中学校の教諭であったところ、同校の村里校長から、昭和三六年一〇月二六日に昭和三六年学力調査を行う際の補助員に命じる旨の文書を受け取ったもののこれを返戻して、同日平常授業を行ったことは当事者間に争いがない。そこで、懲戒事由の判断の前提となる事実関係についてまず検討する。

(証拠・人証略)によれば、次の事実が認められる。

(一) 村里校長は、同月二五日午後三時ころ、職員室内に設置されていた行事予定兼連絡のための小黒板に一〇月二六日の学力調査実施の予定時間を記載した。原告冨田不死子は、右小黒板記載の内容を見て、村里校長が同日午前九時から学力調査を実施するつもりであることを認識し、同日二五日夜には夫である原告冨田正義にも村里校長が学力調査を同月二六日午前九時から実施するつもりであることを話したので、原告冨田正義は、村里校長が授業計画を変更したことを同月二五日中には知っていた(原告冨田正義はこの事実を否認する供述をしているが、同原告は、人事委員会における審理においてこの事実を認めており(〈証拠略〉)、供述の変遷があることにつき合理的な説明がされていないことからして右供述は採用できない。)。

(二) 村里校長、冨田正義、冨田不死子、新井田邦雄らは、同月二六日午前七時三〇分ころから、桜野中学校内での和室で学力調査の実施の可否について話し合ったが、学力調査の実施を主張する村里校長と実施反対を主張する原告冨田正義らとの間で意見は対立したままであった。その話し合いの途中の午前八時三〇分ころ、原告冨田不死子は、右和室から抜け出して学力調査の対象であった中学校二、三年生を含む桜野小学校の児童及び桜野中学校の生徒全員を校外に連れ出し、九時一五分ころまで学校に戻らなかった。

(三) 原告冨田正義は、午前九時二五分ころから、学校に戻ってきた小学校六年生及び中学校一ないし三年生の生徒を対象に国語の授業を実施していたところ、村里校長は、その教室に赴き、原告冨田正義に対し、学力テストを実施したいので現在やっている授業をやめてもらいたい旨要請したが、原告冨田正義は「授業を続けさせて下さい。」と答えてこれを拒否した。

2  以上の争いのない事実及び認定事実をもとに同原告らの懲戒事由について判断する。

(一) 原告冨田正義の懲戒事由について

前記争いのない事実及び認定事実によって、原告冨田正義は、村里校長に対して学力調査を命じる文書を返戻したこと、同月二六日午前九時二五分ころから平常授業を実施していた際村里校長から学力調査を実施したいので現在実施している授業をやめてもらいたい旨要請されたにもかかわらずこれを拒否し、平常授業を続行したことが認められる。したがって、同原告には職務命令を返戻し、かつ学力調査の実施を妨害した懲戒事由があることが認められる。

(二) 原告冨田不死子の懲戒事由について

前記争いのない事実及び認定事実によって、原告冨田不死子は、村里校長に対して学力調査を命じる文書を返戻したこと、村里校長が同月二六日午前九時から学力調査を実施するつもりであることを知りながら、同日午前八時三〇分ころから学力調査の対象であった中学校二、三年生を含む生徒全員を校外に連れ出し、午前九時一五分ころまで学校に戻らず平常授業を続行したことが認められる。したがって、同原告には職務命令を返戻し、かつ学力調査の実施を妨害した懲戒事由があることが認められる。

3  懲戒権の濫用の主張について

本件学力調査の目的には、中学校においては、自校の学習の到達度を全国的な水準との比較においてみることにより、その長短を知り、生徒の学習の指導とその向上に役立たせる資料とすること、文部省及び教育委員会においては、学習の改善に役立つ教育条件を整備する資料とすることが含まれていたから(前記第三の一)、原告らが主張する、桜野中学校では極めて変則的な教育活動を強いられていたこと、未履修教科の学力調査を受ける状況になっていたことなどは、本件学力調査の実施を法律上拒む理由とすることはできない。

したがって、本件懲戒処分を懲戒権の濫用ということはできない。

4  職務命令の不成立あるいは無効の主張について

同原告らは、村里校長から学力調査実施についての具体的職務内容の説明を受けていなかったこと、授業計画の変更の指示も受けなかったことが職務命令の不成立あるいは無効をもたらす旨主張する。しかしながら、前記1認定の事実及び弁論の全趣旨によれば、同原告らは、学力調査の実施そのものに反対して労務の提供を拒否したものであって、学力調査の具体的実施方法について反対していたのではなく、したがって、学力調査実施についての具体的職務内容について質問することもなかったことが認められる。

以上の状況のもとでは、村里校長が単に昭和三六年学力調査の補助員に命じる旨の職務命令しか出さず、学力調査実施の具体的職務内容の説明をせず、授業計画の変更の指示をしなかったとしても、その職務命令が違法を帯びるものではないと解すべきである。

一二  原告横田協子、原告蜂谷智子、原告中野寛及び原告渡辺孝三郎関係の争点に対する判断

1  懲戒事由について

原告横田協子、原告蜂谷智子、原告中野寛及び原告渡辺孝三郎は、八雲町立野田生中学校の教諭又は助教諭であったところ、昭和三六年一〇月二四日、同校の加藤校長から文書で同月二六日に昭和三六年学力調査を実施する際の補助員に命じられたが、いずれもその文書を返戻したことは当事者間に争いがない。したがって、同原告らには職務命令を返戻した懲戒事由があることが認められる。

2  争点に対する判断

(一) 職務命令の無効、懲戒権の濫用の主張について

右争いのない事実、(証拠略)、原告横田協子、原告蜂谷智子、原告中野寛及び原告渡辺孝三郎各本人によれば、同原告らは、学力調査の実施そのものに反対して同原告ら連名の「学力調査、テスト補助員の返上について」と題する書面を昭和三六年一〇月二五日に加藤校長に提出するとともに右職務命令を返戻して労務の提供を拒否したものであって、加藤校長に対して学力調査補助員の具体的職務内容等について質問することもなかったことが認められる。以上の状況のもとでは、加藤校長が単に昭和三六年学力調査の補助員に命じる旨の職務命令しか出さず、学力調査実施の具体的職務内容の説明をせず、学力調査対象外の一年生にどのような授業を実施するかについての指示をしなかったことなどは、職務命令の効力を左右するものとは認められないし、本件懲戒処分が懲戒権の濫用であると認め得る事由とはいえない。

(二) 年次休暇の取得の主張について

(原告渡辺孝三郎関係)

労働者がその有する休暇日数の範囲内で、具体的な休暇の始期と終期を特定して年次休暇の時季指定をしたときは、使用者が時季変更権の行使をしないかぎり、右指定によって年次有給休暇が成立し、当該労働日における就労義務が消滅し、使用者の「承認」の観念を容れる余地はないものと解するのが相当である(最高裁判所第二小法廷昭和四八年三月二日判決・民集二七巻二号一九一頁)。

そこで、本件についてみると、(証拠略)、原告蜂谷智子及び原告渡辺孝三郎各本人並びに弁論の全趣旨によれば、原告渡辺孝三郎は、昭和三六年一〇月二四日午前八時二〇分ころ、所定の年次休暇願いに所要事項と年次休暇を申請する日として同月二六日を記入のうえ、野田生中学校の高木教頭に提出したところ、高木教頭はこれを黙って受け取り、その後加藤校長や高木教頭から右休暇願いに対する明示の時季変更権の行使はされなかったことを認めることができる。

ところで、(証拠略)によれば、右年次休暇願いが提出された後に加藤校長から原告渡辺孝三郎に対して同月二六日の学力調査の補助員を命じる職務命令が発せられたことを推認でき(この推認に反する証拠はない。)、同一日についての右学力調査実施の職務命令と年次休暇とは両立しないから、加藤校長の同原告に対する職務命令は年次休暇の時季変更権の行使とも評価できないわけではない。しかしながら、同原告から年次休暇申請がされていることを加藤校長が右職務命令発令時点で認識していたことを認めるに足りる証拠はないから、職務命令を年次休暇の時季変更権の行使と認めることはできない。かえって、加藤校長は、同月二六日に野田生中学校にいた同原告に対し、「有給で休んでおったら、ここにおらないで学校からいなくなったほうがいいんでないだろうか。」と言い(〈証拠略〉)、同日の同原告の年次休暇申請を咎めだてしていないばかりか、休暇を容認するとも受け取れる発言をしているから、年次休暇の時季変更権は行使されていないことが明らかである。

被告は、同原告には年次休暇取得の意思がなかった旨主張する。しかしながら、同原告が学力調査実施の職務命令を受けた際あるいは返戻する際に年次休暇の申請をしていることを告げなかったことから直ちに年次休暇取得の意思がなかったことまでを推認することはできない。また、同原告は、他校の応援に出向こうとして当日の年次休暇願いを提出していたところ、同月二五日夕方ころ、八雲鉄道寮で開かれていた北教組の会議に出席していた同原告に対し、野田生中学校の種田教諭から、役場の職員らしき五人が加藤校長宅に寄ったうえ野田生中学校の宿直室に入っていった旨の連絡を受けたので、自校に戻って対応すべきものと思い、直ちに野田生中学校に戻り、同月二六日には野田生中学校に出向いたことが認められる(原告渡辺孝三郎本人。この認定に反する具体的な証拠はない。)から、同原告が年次休暇願いを提出していながら同月二六日に野田生中学校に出向いたのは、年次休暇取得の意思がなかったためあるいはなくなったためではないことが明らかである。被告の右主張は、採用できない。

したがって、同原告が昭和三六年一〇月二六日という時季を指定して年次休暇を求めていると認められ(同原告がその有する休暇日数の範囲内で年次休暇の申請をしたことは、弁論の全趣旨から明らかである。)、加藤校長が時季変更権の行使をしたとは認められないから、右指定によって年次有給休暇が成立し、同原告の右同日における就労義務が消滅したと言わざるを得ないから、同原告に対する学力調査実施の職務命令はその効力を持たず、同原告に対する本件懲戒処分は処分事由を欠くものというほかない。

一三  原告櫻井昭男及び原告藤沢耕三関係の争点に対する判断

1  懲戒事由について

原告櫻井昭男及び原告藤沢耕三は、八雲町立山崎中学校の教諭又は助教諭であったところ、昭和三六年一〇月二四日、同校の高島校長から、文書で同月二六日に昭和三六年学力調査を実施する際の補助員に命じられたが、いずれもその文書を返戻したことは当事者間に争いがない。したがって、同原告らには職務命令を返戻した懲戒事由が存在することが認められる。

2  争点に対する判断

(一) 年次休暇の取得について

前記のとおり、昭和三六年一〇月二四日に職務命令を返戻した時点で同原告らに懲戒事由が発生したことが認められるところ、同原告らが主張する年次休暇の申請がされたのは、その主張上右懲戒事由発生後の同月二五日であるから、同原告らが年次休暇を取得したとしても、右懲戒事由を消滅させるものとはいえない。

(二) 懲戒権の濫用の主張について

同原告らが懲戒権の濫用であるとして主張している事実は、本件懲戒処分の効力を左右する事由とは認められない(同原告らが職務命令文書を餌取教諭及び山吹教諭に対して渡されたものと考えていた旨の主張は、〈証拠略〉によって認められる職務命令を記載した文書の形態及び記載内容と比較して不自然で採用できない。)。

一四  まとめ

右のとおり、原告大家美喜子、原告酒谷忠興及び原告渡辺孝三郎を除く被処分者らについては、その懲戒処分を取り消す事由は認められないところ、本件における原告各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、同人らは、それぞれの教育的信念、理念に基づいて当時の自己の勤務する学校の具体的状況をも考慮したうえで各処分事由に該当する行為に及び、その後も、被処分者である教員の多数が長年月にわたり真摯な態度で教育実践活動に当たってきたことを窺うことができるが、これらの事実も懲戒処分事由について被告が行った懲戒処分を違法とまで評価する事由になるものではない。

第五結論

以上の検討によって、原告大家美喜子及び原告酒谷忠興に対する本件懲戒処分は江差町教育委員会の被告に対する内申において重大な違法があり、原告渡辺孝三郎に対する懲戒処分は処分事由を欠くから、いずれもこれを取り消すこととし、原告大家美喜子、原告酒谷忠興及び原告渡辺孝三郎を除く被処分者らに対する本件懲戒処分は取消理由がないから、原告大家美喜子、原告酒谷忠興及び原告渡辺孝三郎を除く原告らの請求をいずれも棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石田敏明 裁判官 甲斐哲彦 裁判官 小出啓子)

〈別紙〉 当事者目録

(亡伴野利雄承継人)

原告 伴野トミヨ

(他七八名)

右訴訟代理人弁護士 尾山宏

(他四名)

被告 北海道教育委員会

右代表者委員長 櫻井護夫

右訴訟代理人弁護士 山根喬

上口利男

右指定代理人 松田光睆

(他三名)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例